認知症

1983年、アルツハイマー病(AD)治療薬の創製をめざしたプロジェクトが筑波研究所で開始されました。以来、約40年間にわたり、当社は認知症・AD治療薬の研究開発を一貫して進めており、世界でAD治療薬として最も使用されているドネペジル(製品名「アリセプト®」)を生み出すなど、当社にしかないナレッジを蓄積してきました。これらの独自のナレッジが、2023年に認知機能と日常生活機能の低下を遅らせることが確認され、米国でフル承認を取得し世界初のAD治療薬となったレカネマブ(製品名「LEQEMBI®」)の創製に繋がりました。

当社は、「認知症領域」を戦略的重要領域の一つとし、Deep Human Biology Learning(DHBL)創薬体制のもと、Human Biologyに基づき、「タンパク質恒常性破綻」「細胞老化を伴う炎症、低酸素、酸化ストレス」などの創薬領域(ドメイン)における認知症治療薬の研究開発にフォーカスしています。これらのドメインから新たな標的や作用機序を有する革新的新薬を創出し、ADを含む認知症の治療に貢献することをめざしています。また、最新のHuman Biologyに基づく知見の導入にも努めており、慶應義塾大学、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(University College London、以下 UCL)、セントルイス・ワシントン大学医学部などのアカデミアとの共同研究を進めています。

これまでの歩み

1983年 筑波研究所において、アセチルコリン仮説に則ったアルツハイマー病治療薬をめざすプロジェクト開始

生化学的手法を用いた1970年代の研究により、AD脳ではコリンアセチル転移酵素の活性低下と、大脳基底部にあるマイネルト核のコリン作動性神経細胞の減少が示されていました。1983年、筑波研究所において、アセチルコリン仮説に則りAD治療薬をめざしたプロジェクトを開始し、ドネペジルを創製しました。

1989年 ドネペジルの臨床試験

ドネペジルの臨床試験は、まず日本で1989年から始まりました。その後、ADを対象とした臨床第Ⅲ相試験に基づき、1997年に、米国FDAよりADに関わる適応で承認を取得し、「アリセプト」の製品名で発売しました。日本においては、1999年に「軽度及び中等度アルツハイマー型AD認知症」を適応として承認され、発売を開始しました。その後、2007年に「高度アルツハイマー型認知症」に係る効能・効果および用法・用量追加の承認を取得し、2014年には、「レビー小体型認知症」に係る効能・効果の承認を取得しています。さらに、服用困難を伴う当事者様に、より服用しやすい剤形として、口腔内崩壊錠(アリセプトD錠)、ゼリー剤、ドライシロップを開発し、承認を取得しました。
アリセプトは、日本、米国、欧州、アジアなど世界100カ国以上で承認を取得しています。

1992年 アミロイドベータ(Aβ)仮説が発表され、AD疾患修飾薬の研究開発を開始

ADの発症原因・疾患メカニズムに関する研究の進展により、1992年にAβ仮説(Aβの脳内蓄積が、ADの原因であるとする仮説)が発表されました。当社においても、ドネペジルの臨床試験が進む中、疾患発症や病態の進行を抑制する薬剤の研究に対する開発の機運が高まり、同年、筑波研究所においてAβ仮説に沿った神経細胞死を防ぐ薬剤の創製をめざすプロジェクトを開始しました。また、Aβの凝集を阻害する化合物を指向したプロジェクトなども並行して進行していました。これらが、当社におけるAD疾患修飾薬の研究開発の始まりです。創薬コンセプトごとに、AD疾患修飾薬創製への取り組みをご紹介します。

γセクレターゼ・モジュレーター

1995年に家族性ADの原因遺伝子として同定されたプレセニリンについて、AβのC末側を切り出し、Aβの長さを規定する重要な酵素であるγセクレターゼの触媒サブユニットであることが2000年に報告されました。
γセクレターゼには、Aβ以外にも細胞分化や運命決定に重要な役割を持つNOTCHをはじめとする多様な基質の存在が知られ、γセクレターゼ阻害剤は多様な基質切断阻害による副作用が想定されていました。2003年、筑波研究所では、凝集性の高いAβ42の産生阻害を目指したプロジェクトを開始し、その結果、Aβ42、 40の産生を減らしますが、凝集性の低い、短いAβ(Aβ37, 38)の産生量を増やすことでAβ総量は変化させず、また、NOTCHの切断には影響を与えないγセクレターゼ・モジュレーターE2012を創出しました。2006年にE2012の臨床第Ⅰ相試験を開始し、その後、改良されたE2212の臨床試験を2010年に開始しましたが、2011年に開発を終了しました。

βセクレターゼ阻害剤

1999年にAPPからAβのN末側を切り出す酵素、βセクレターゼ(βサイトAPP切断酵素:BACE)が同定されました。
βセクレターゼ阻害剤については、Aβ産生のメカニズム、分子機構の解明が進んだことを受け、2000年にβセクレターゼ阻害によるAβ産生阻害をめざすプロジェクトが筑波研究所とエーザイのロンドン研究所との共同で開始されましたが、何度も失敗と学びを繰り返し、2007年に筑波研究所で創出されたE2609(一般名:エレンベセスタット)について2010年12月に臨床第Ⅰ相試験を開始し、2016年10月、早期AD当事者様を対象とした臨床第Ⅲ相MISSION AD1、2試験を開始しました。しかしながら、2019年9月、独立安全性データモニタリング委員会(DSMB)により行われた安全性レビューにおいて、本試験を継続しても最終的にベネフィットがリスクを上回ることはないとの判断から本試験の中止が決定されました。

抗Aβ抗体

ウプサラ大学Lars Lannfelt教授は、スウェーデン北部の街ウメオの家族性ADの遺伝子解析を行い、Aβ22位のグルタミン酸がグリシンに変異(E693G)していることを発見し、「Arctic変異」と名付けました。この変異を持つAβは、凝集性が増加し可溶性のAβ凝集体(プロトフィブリル)を形成するものの、不溶性の凝集体は殆ど形成しないユニークな性質を有しています。可溶性AβプロトフィブリルがAD発症の原因であるとの考えに基づき、Lannfelt教授らは、プロトフィブリル除去をADの治療コンセプトとするBioArctic AB(BioArctic社)を2003年に設立しました。この治療コンセプトは家族性ADの知見であるHuman Biologyに依拠しており、当社は2005年にBioArctic社とのADに対する免疫療法剤創製を目的とした共同研究を開始しました。さらに2007年、BioArctic社との共同研究で得られたヒト化モノクローナル抗体レカネマブのライセンス契約を締結しました。

2010年 レカネマブの臨床試験

2010年に米国で、レカネマブの臨床第Ⅰ相試験を開始し、2012年には、アミロイドの脳内蓄積が確認されている、早期AD当事者様を対象とした大規模な(登録被検者様数856人)、プラセボ対照、二重盲検、並行群間比較、無作為化臨床第Ⅱ相試験(201試験)を日本、米国、欧州などで開始しました。201試験では、投与から18カ月時点における臨床症状の評価指標ADCOMS(Alzheimer’s Disease Composite Score)の評価で、10㎎/㎏ bi-weekly投与群において、プラセボ群に比較して統計学的に有意な症状の進行抑制を示しました。また同投与群において、18カ月時点のアミロイドPETによる脳内Aβの蓄積量は、脳内アミロイド蓄積量の減少およびアミロイドPETイメージ読影診断での陽性から陰性へのコンバージョンについて、プラセボ群に比較して統計学的に有意な改善を示しました。201試験は、その後の臨床第Ⅲ相Clarity AD試験において、Right population(正しい評価集団)、Right endpoint(正しい評価項目)、Right dosing(正しい用量)を設定する上で、非常に重要な試験でした。
201試験の結果を受け、2019年に、レカネマブ投与量を10㎎/㎏ bi-weekly、投与期間を18カ月、主要評価項目をCDR-SB (Clinical Dementia Rating Sum of Boxes)とする臨床第Ⅲ相Clarity AD試験を開始しました。本試験は、アミロイドの脳内蓄積が確認された早期AD当事者様1,795人を対象とした、プラセボ対照、二重盲検、並行群間比較、無作為化グローバル臨床第Ⅲ相試験でした。
2022年9月、Clarity AD試験において、統計学的に有意な臨床症状の悪化抑制を示し、主要評価項目を達成しました。本試験の結果は同年11月に開催されたCTAD(15回アルツハイマー病臨床試験会議)にて詳細に発表し、同時に、世界的に最も権威のある医学雑誌の一つである査読学術専門誌the New England Journal of Medicineにも掲載されました。

2021年 DIAN-TUが実施する優性遺伝アルツハイマー病(DIAD)に対する臨床第Ⅱ/Ⅲ相試験(Tau NexGen試験)の最初の抗タウ薬として、E2814が選定

E2814は、英国のUCLとの共同研究の成果として創出された抗MTBR(microtubule binding region)タウ抗体です。
ADではタウ蓄積病理(神経原線維変化)の脳内分布と臨床症状が良く相関することが知られています。神経原線維変化の広がりは、タウ凝集体が神経細胞間を移動する伝播によって発生すると考えられています。伝播によって移動するタウ凝集体は、MTBRを含むタウによって構成され、E2814はその伝播を阻害することで、タウ病理が広がることを防ぐことが期待されています。
2021年3月、セントルイス・ワシントン大学医学部により主導される優性遺伝アルツハイマーネットワーク試験ユニット(Dominantly Inherited Alzheimer Network Trials Unit、以下 DIAN-TU)が実施する優性遺伝アルツハイマー病(DIAD)に対する臨床第Ⅱ/Ⅲ相試験(Tau NexGen試験)の最初の抗タウ薬として、E2814が選定されました。その後、Aβ標的療法によりADのバイオマーカーが低下することを示す臨床試験のエビデンスが増えていることを受け、レカネマブが本試験における基礎療法としての抗Aβ療法に選定されました。本試験の被験者は、ADを発症することが知られている遺伝子変異を有する方々で、多くは発症した親とほぼ同じ年齢で症状を発現する傾向があります。本試験の目的は、家族性ADの原因となる遺伝子変異を有する症候性と無症候性の人々に対して、E2814の安全性、忍容性、バイオマーカーおよび認知機能への効果を評価することです。本試験において、2022年1月、最初の被験者が登録され、試験が進行しています。

2023年 レカネマブ、米国および日本において承認を取得

レカネマブについて、2023年1月、臨床第Ⅱ相201試験の結果に基づき、ADの治療薬として、米国食品医薬品局(FDA)より迅速承認を取得しました。
さらに、同年7月、臨床第Ⅲ相Clarity AD試験の結果に基づき、FDAよりフル承認を取得しました。レカネマブは、ADの進行を抑制し、認知機能と日常生活機能の低下を遅らせることが確認され、フル承認を取得した世界初の治療薬となりました。同年9月、日本において製造販売承認を取得しました。