エーザイがかつてない急成長を遂げる中、1966(昭和41)年5月14日、その舵取りは新社長の内藤祐次に託された。
この時期、日本は高度経済成長と国際化の時代にあり、エーザイも国内では、仙台、立川、横浜、静岡、金沢、京都、神戸、和歌山、岡山、広島、高松、熊本の12ヵ所の拠点をベースに、全国的な販売網が確立された。さらに、「年商1億ドル(360億円)」を目標から3年前倒しの1971(昭和46)年度に達成するなど、成長路線を引き続き堅持しつつ、海外進出がいよいよ強力に推し進められていくことになる。海外への本格進出にあたって、社名マークからは、カタカナの「エーザイ」が除かれ、アルファベットの「Eisai」のみに統一された。