エーザイの歴史70th - History of Eisai -

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エーザイの歩み - 第5章 - 大型設備投資の時代 [1976(昭和51)年~1986(昭和61)年]

『ユベラックス』<1977(昭和52)年当時>
半透明の琥珀色のカプセル、ゴールドのつや消しキャップ、光沢を抑えたパッケージ。天然型を訴求した。

長年にわたるビタミン研究の強みを生かし、ロングセラー商品『ユベラックス』を開発。

1970年代、当時、健康と安全に対する意識の高まりから、老化や成人病予防のビタミンとして注目を集めていたのがビタミンEであった。エーザイはビタミンEのパイオニアとしての自負と誇りをかけて『ユベラックス』を1977(昭和52)年に市場に投入した。吸収性に優れ、生体内での利用効力が高い天然型ビタミンE剤の店頭薬(一般用医薬品)で、30余年経った現在も販売されているロングセラー商品となる。

エーザイは、前身の桜ヶ岡研究所の時代に日本で初めてのビタミンE剤『ユベラ』の開発を手がけて以来、『チョコラザーネ』『ユベロン』『ユベラC』といったビタミンE関連の店頭薬を世に送り出してきた。『ユベラックス』は、医療用医薬品である微小循環系賦活剤『ユベラニコチネート』と共に、「ビタミンEのエーザイ」としての強みを生かした中核商品であった。

筑波研究所<1982(昭和57)年頃>

美里工場に導入された大型自動糖衣装置。
『メチコバール』を一度に150万錠糖衣可能となり、生産力向上に貢献した。

世界進出への足場を整えるとともに、研究開発力・生産能力を世界水準へ。

1980年代は、世界進出への足がかりを築いた時代である。1981(昭和56)年、米国への事業進出の第一歩として、米国ロサンゼルス郊外に現地法人Eisai U.S.A. Inc.を設立し、AIM(全自動検査機)やビタミンEのバルク販売を開始した。

一方、研究・生産能力を世界水準へ押し上げるため、同年から4年の間に「美里工場」(埼玉県)、「筑波研究所」(茨城県)、「エーザイ化学」(茨城県、現エーザイ鹿島事業所)と、重要拠点を次々と操業させた。

新たに東の生産拠点となった「美里工場」では、清潔な通路を行き来する自動搬送ロボットや、一度に150 万錠の錠剤に糖衣作業ができる大型自動糖衣装置など、まさに近未来を思わせるような設備を導入し、生産能力を大幅に強化した。

また、最先端技術が集まる研究学園都市内に位置する「筑波研究所」では、新薬創出に向け、世界水準の研究活動が行えるようになり、1984(昭和59)年には、筑波研究所が創製した初の新薬となる、胃潰瘍治療剤『セルベックス』の開発に成功した。

TOPICS

エーザイの成長を支えた、プロダクトマネジャー(PM)制

今日の製薬業界では当たり前のプロダクトマネジャー(PM)制ですが、エーザイは1960年代にすでにこの制度を導入していました。当時、競合他社にはみられないユニークな制度として注目されました。

創業者・内藤豊次は、自身の田辺元三郎商店での経験から、医療の現場から正しい情報を集め、それを経営に生かすことの重要性を強く感じていました。PMは、大切な新製品を育成し、製品価値を最大化し、次の新製品の開発につなげるという重要な任を負っています。PMが専門医と連携して企画する研究会は、最新の学術情報に基づいた情報提供活動に加え、その分野の診断・治療の進歩にも貢献しています。

将来への布石となる大型設備投資を支えた製品群

1980年代に入ると、将来への布石となる大型設備投資が積極的に行われましたが、投資を支える収益面では、1980(昭和55)年度にはじめて売上高1000億円を達成しました。
それを支えた主力品は、微小循環系賦活剤『ユベラニコチネート』、循環代謝改善剤『ノイキノン』、末梢性神経障害治療剤『メチコバール』などの医療用医薬品と、一般用医薬品の天然型ビタミンE剤『ユベラックス』でした。
これらの製品は、現在もそれぞれの領域で、患者様や生活者の皆様に貢献しています。