エーザイの歴史70th - History of Eisai -

  • エーザイ歴史年表
  • エーザイの歩み
  • 創業者・内藤豊次
  • 商品開発の歴史
  • 歴史ギャラリー
  • 第1章
  • 第2章
  • 第3章
  • 第4章
  • 第5章
  • 第6章
  • 第7章

エーザイの歩み - 第7章 - 21世紀、新たな飛翔に向けて [2002(平成14)年~現在]

患者様の想いを知るhhc活動として、予備的な認知症スクリーニングテストを実施するエーザイインドの社員(右)。

大グローバリゼーション時代の幕開け。汎ヨーロッパ、そして急成長する新興国市場へ。

21世紀に入り、世界製薬トップ20社入りを果たしたエーザイは、『アリセプト』と『パリエット』の貢献で海外事業が飛躍的に成長し、2002(平成14)年には海外売上高比率が初めて5割を超えた。
この時期、欧州では、英国、ドイツ、フランス、スペインの主要4カ国に続き欧州全域をカバーする販売網の拡大に乗りだす。イタリア、スウェーデン、オーストリア、スイスなどに販売会社を設立し、合計10社で欧州全域をカバーする体制を整えた。『アリセプト』と『パリエット』に加え、てんかん領域の製品を導入し、事業基盤を強化した。

一方、急成長する新興国への進出も積極的に展開していた。

中国進出は、1991(平成3)年、瀋陽に現地会社との合作企業を設立したことに始まる。1996(平成8)年には、外資メーカーとして初めて100%資本の「衛材(蘇州)製薬有限公司」を設立した。『アリセプト』、『パリエット』、『メチコバール』などの主要製品の発売により、中国での日本製薬企業の中でトップメーカーとなった。

インドでは2004(平成16)年、日本の製薬企業としては初めて自社の販売会社を設立し、『アリセップ』(ドネペジル塩酸塩のインドでの販売名)などの販売を開始した。インドにおける物質特許制度が整備されたのは2005(平成17)年であり、市場には既に数十ものジェネリック品が販売されていた。エーザイが得意とする疾患啓発や地域に根ざしたマーケティングにより、現在ではドネペジル塩酸塩製剤中トップブランドに成長している。

2010年前後には、ロシア、ブラジル、メキシコにも販売会社や事務所を設立し、エーザイのグローバリゼーションは新たなステージを迎える。

激動の時代を生き抜いた、エーザイ2代目社長・内藤祐次が逝去。

2005(平成17)年10月、1966(昭和41)年より22年間、代表取締役社長として陣頭指揮をとり、経営の多角化や海外進出を果たし、その後も経営の第一線にあり続けた、内藤祐次が逝去。享年85歳でした。

祐次は、東京帝国大学経済学部商業科在学中の1943(昭和18)年、学徒動員で出陣。零戦搭乗戦闘機隊員となり、終戦の1945(昭和20)年には神風特別攻撃隊に参加。鹿児島の鹿屋基地で出撃を待っていたところ、6月に本土決戦に備えて松山基地に移動となり、終戦を迎えました。

米国モルフォテック社

世界へより高く飛翔するために、新たな中期戦略計画が始動、がん領域への参入。

21世紀の新たな戦略として、2006(平成18)年度から中期戦略計画「ドラマティック リープ プラン(Dramatic Leap Plan=大いなる飛翔計画)」が始動した。その基本は2005(平成17)年に定款に明文化された企業理念であり、真のグローバルなヒューマン・ヘルスケア(hhc)企業となることを唯一の目的としていた。アンメット・メディカル・ニーズ(未だ満たされていない医療ニーズ)に資源を集中することがはかられ、がん領域に本格的に参入することになる。

自社による抗がん剤の研究開発は1987(昭和62)年、筑波研究所に研究グループが組織されたことにはじまる。自社開発品のパイプラインが拡充してきたことにより、がん領域製品をグローバルに展開する事業および技術基盤を獲得するため3年間に3つの買収を行う。まず、2006(平成18)年にライガンド社から抗がん剤4品の製品買収を行い、翌年には、がん治療用抗体医薬の研究開発を専門とするモルフォテック社を買収。さらに翌年、がんと救急治療分野の事業を専門とするMGIファーマを買収した。

そして2010(平成22)年、ボストン研究所が創製した抗がん剤『ハラヴェン』が米国で承認された。ハラヴェン創製の源となったハリコンドリンBは、神奈川県三浦半島から採取されたクロイソカイメンから抽出・精製された。その発見からエリブリンの合成に至るまでには十余年のサイエンティストの粘り強い挑戦があった。現代有機合成化学の俊英を結集し創製された『ハラヴェン』は、外資系に独占されてきた抗悪性腫瘍薬分野において、日本企業が独自で創薬から開発までを手がけた新薬ということで、大きな期待が持たれた。

  • 筑波ナレッジセンター
    <2008(平成20)年8月竣工>
    (2009年度グッドデザイン賞受賞)

  • 欧州ナレッジセンター
    <2009(平成21)年6月竣工>

  • エーザイ・ナレッジセンター・インド
    <2009(平成21)年12月竣工>

  • 小石川ナレッジセンター
    <2010(平成22)年1月竣工>
    (第24回 日経ニューオフィス推進賞受賞)

1日でも早く、新薬創出を。シームレス・バリュー・チェーンで研究員の知の交流を活発化する「ナレッジセンター」を整備。

2008~2010年にかけて、筑波、英国、インド、東京(本社)に、研究員の知の交流を活発化し新薬の創出を一層加速することを目的として、「ナレッジセンター」を設立した。

2009(平成21)年6月、英国ロンドン北方ハットフィールドに設立された「欧州ナレッジセンター」は、欧州で初めての生産拠点とともに探索研究、臨床研究、販売部門および欧州地域本社機能を持ち、創業者の夢であった研究から生産、販売までの製薬産業のバリュー・チェーンを一つのサイトに集約した拠点である。最も重要な施設はカフェテリア。人が集まり、部門を越えて意見を交換しあい、同じ時間・同じ経験を共有することで生まれる知の創造こそがこの施設のめざすところであった。

2009(平成21)年12月、インド南部バイザッグに、原薬のプロセス研究機能と原薬・製剤生産を一箇所に集約した拠点として「エーザイ・ナレッジセンター・インド」が設立された。ここは、グローバルな生産拠点として、アフォーダブル・プライシング(患者様が購入しやすい価格設定)の実現に中心的な役割を担っている。

WHOとの合意書の調印式<2012(平成24)年1月>

新薬をより早く世界中の患者様のもとへ届けたい。計画「はやぶさ」で、未来へ。

大型製品が相次いで直面した物質特許満了による2010年問題、膨らみ続ける医療費の抑制策の進展などにより、先進国での医薬品ビジネスの成長は鈍化する傾向にあった。一方、経済発展とともに成長著しい新興国や開発途上国では、健康福祉レベルの向上とともに医薬品に対するニーズも高まっている。

エーザイは、新興国や開発途上国まで見据えた大グローバリゼーション時代に、さらに多くの患者様に貢献し、グローバルトップティアのハイパフォーマンス企業へと転換することめざし、2011(平成23)年、中期戦略計画「はやぶさ」を発表した。この計画では革新的な新薬の創出と新興国・開発途上国における医薬品アクセスの向上が大命題とされた。

2012(平成24)年、エーザイはグローバル製薬大手13社の一員として、ビル&メリンダ・ゲイツ財団や世界保健機関(WHO)、開発途上国政府などと過去最大の国際官民パートナーシップを構築し、「顧みられない熱帯病(NTD)」10疾患の制圧に向けた「ロンドン宣言」に、日本の製薬企業として唯一参画した。そして、NTDの一つであるリンパ系フィラリア症の治療薬、約22億錠をインドのバイザッグ工場で製造し、WHOに“プライス・ゼロ”(無償)で提供する契約を締結した。エーザイは、医薬品アクセス向上への様々な取り組みをhhc理念に基づく将来の市場形成への中長期的な投資として考え、積極的に展開していくことになる。

TOPICS

「はやぶさ」に夢を乗せて。

中期戦略計画「はやぶさ」の名称は、日本の小惑星探査機「はやぶさ」に由来します。60億km、7年もの道のりを飛び、エンジントラブルや通信途絶などのトラブルを乗り越え、無事に地球に帰還した小惑星探査機の雄姿に、いかなる困難を乗り越えても目標を達成するというエーザイ社員の精神を重ね合わせたものです。

委員会等設置会社への移行とコーポレートガバナンスの確立。

エーザイは、2000(平成12)年度にガバナンス体制の刷新のため、コーポレートガバナンス委員会を設置し、取締役の員数を減少し、初の社外取締役として片岡一郎氏(慶應義塾大学名誉教授)を選任しました。また、同時に執行役員制度を導入し、業務執行機能と経営の監督機能の分離を開始し、その後毎年ガバナンスの強化に取り組んできました。2004(平成16)年度には、委員会等設置会社に移行し、現在では、取締役会の過半数を社外取締役で構成しています。