エーザイの歴史70th - History of Eisai -

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エーザイの歩み - 第6章 - 世界の製薬トップ20へ [1987(昭和62)年~2001(平成13)年]

1988(昭和63)年6月、会長・内藤祐次から新社長・内藤晴夫へ2本のバトンが手渡された。
1本のバトンには、前年度のエーザイの実績が書かれており、もう1本のバトンは、新社長がいつの日か次の世代に渡すべきものとして、何も書かれていないものであった。

エーザイがめざすべき21世紀の企業像は、“研究開発ベースの多国籍製薬企業”。

1987(昭和62)年、日本経済がバブル景気に沸き国際化が合言葉となる中、エーザイは、1988(昭和63)年4月の内藤晴夫社長の就任を機に、「世界製薬トップ20社入り」をめざし、次なる長期計画の時代にはいった。この時、エーザイは世界30位の製薬企業となっていた。

エーザイがめざすべき21世紀の企業像を“研究開発ベースの多国籍製薬企業”と掲げ、海外進出を視野に入れた「新製品開発力」、国内での存在を確固たるものにする「営業力」、業界再編を生き抜く「資金力」での優位をめざすことを謳い、21世紀までの15年間を3期に分けたステップ戦略「新5ヵ年戦略計画」が立てられた。第Ⅰ期「国内営業の時代」、第Ⅱ期「グローバリゼーションの時代」、第Ⅲ期「飛翔の時代」とし、世界20社入りに向けたステップを踏み出した。

TOPICS

エーザイの全ての行動の中心となる考え、企業理念“hhc”が誕生。

エーザイは、“hhc”の実現には、社員一人ひとりが患者様の傍らに寄り添い、患者様の目線でものを考え、言葉にならない思いを感じ取ることが重要であると考えています。介護療養型医療施設での実習などを通して得られた気づきを具現化し、医療の主役である患者様と生活者の皆様のベネフィットを向上するための活動(hhc活動)が、各国、各部門で行われています。1996(平成8)年には72テーマという活動規模であったものが、現在では、500を超えるプロジェクトが展開され、「エーザイらしさ」を追求した企業活動が推進されています。

「hhcとは」へ

企業像の変革とともに社員の意識を改革し、“ヒューマン・ヘルスケア(hhc)”企業へ。

内藤晴夫社長は、時代や社会の変化、それにともなう人々の意識の変化を鋭く察知し、就任直後から社員の意識改革に取り組む。そして、1989(平成元)年、エーザイはヘルスケアの主役が患者様とその家族、生活者であることを明確に認識し、そのベネフィット向上を通じてビジネスを遂行することに誇りをもちたいという「エーザイ・イノベーション宣言」を発し、「世の中変ります。あなたは変れますか」というメッセージで社員一人ひとりの革新を促した。この精神を一言に集約したものが、“hhc(ヒューマン・ヘルスケア)”であり、1992(平成4)年に企業理念として制定した。海外展開を進めていた当時、この企業理念「hhc」の3文字に込められた想いは、海外の社員にも理解され、共感され、覚えられやすい共通のコアバリューとなった。“hhc”は、現在にも脈々と受け継がれているエーザイのDNA(遺伝子)である。

ロンドン研究所の開所式には、アン妃殿下がご臨席された。<1993(平成5)年5月>

日米欧の3極に研究開発拠点を設立し、グローバル展開へ、力強い一歩を踏み出した。

国内製薬企業の海外進出戦略が、自社製品を海外製薬企業にライセンスアウトする形態が主流であった当時、エーザイはあくまでも、源流である研究から生産までを自らの手で行うことにこだわった。“研究開発ベースの多国籍製薬企業”の実現に向けて、欧米にも研究開発拠点、生産拠点、販売拠点を確立することが目標とされた。

その第一歩となったのが、日本とは異なる発想と最先端のアイデアに基づいた画期的新薬の創製を目的に設立された、2つの海外研究所である。海外研究所第1号となった「ボストン研究所」は1987年に設立され、昭和から平成へと移行した1989(平成元)年10月にはボストン郊外のアンドーバーに新研究棟が完成した。ボストンは、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学など米国を代表する大学や最高クラスの病院を擁する米国最大のバイオテクノロジー研究クラスターであり、この環境の中で独自の研究を行うことがボストン研究所には期待された。翌1990年には、英国有数の大学であるロンドン大学の構内に「ロンドン研究所」の設置も決定し、1982年設立していた「筑波研究所」とともに、日・米・欧3極研究体制が確立することになった。

アリセプト発売記念大会<1997(平成9)年2月、米国アトランタ>

画期的な新薬『アリセプト』『パリエット』の発売により、海外展開を加速。2001年、ついに世界の製薬トップ20社入り。

1990年代は、筑波研究所から生まれた新薬が上市を迎えた時期にあたる。その中には、後に主力商品となる、アルツハイマー型認知症治療剤『アリセプト』や、プロトンポンプ阻害剤『パリエット(米国での製品名はアシフェックス)』があった。これらの新薬は、エーザイが将来を見据えて整備してきた、生産供給体制、販売網を通して、海外に展開されていくことになる。

米国では1997(平成9)年から『アリセプト』を発売した。アリセプト発売当時、アルツハイマー型認知症に対する有効な薬物療法はなく、疾患啓発を進めながら多くの患者様の治療に貢献した。疾患啓発を中心とした活動には、ファイザー社との連携が大きい。両社の連携を強くしたものは「人々の健康に貢献することを使命として、革新的で質の高いヘルスケア製品とサービスをもたらすことに努める」という共通のビジョンであった。世界に通じるhhc理念が海外展開を加速したのである。

『パリエット/アシフェックス』は1997(平成9)年に新発売し、欧米ではヤンセン・ファーマシューティカルズとの共同販促を展開した。「新5ヵ年戦略計画」の最終年度である2001(平成13)年には、グローバル製品に成長。エーザイは世界の医薬品メーカーのランキング(IMS)で、目標の製薬トップ20社入りを果たした。