江戸時代の医学・薬学において、多大なる変化をもたらした主な人物をご紹介いたします。
杉田 玄白 (すぎた げんぱく)
江戸時代の蘭学医。若狭国小浜藩(福井県)医。私塾天真楼を主催。父は杉田玄甫、母は八尾氏の娘。諱は翼(たすく)、字は子鳳、号は鷧、晩年に九幸翁。
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華岡 青洲 (はなおか せいしゅう)
江戸時代の外科医。曼陀羅花(チョウセンアサガオ)を主剤とした麻沸湯を考案し、この麻酔剤を用いた手術を初めて行ったといわれている。
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山脇 東洋 (やまわき とうよう)
江戸時代の医学者。実験医学先駆者の一人。東洋は後の号で、はじめは移山。名は尚徳、字は玄飛、子飛。子に山脇東門、門下に永富独嘯庵らがいる。
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貝原 益軒 (かいばら えきけん)
江戸時代の本草学者、儒学者。筑前国(現在の福岡県)福岡藩士、貝原寛斎の五男として生れる。名は篤信、字は子誠、号は柔斎、損軒(晩年に益軒)、通称は久兵衛。
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大槻 玄沢 (おおつき げんたく)
仙台藩の支藩、一関藩(田村藩)出身の江戸時代後期の蘭学者。名は茂質(しげかた)、磐水と号す。『解体新書』の翻訳で有名な、杉田玄白・前野良沢の弟子。
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宇田川 榛斎 (うだがわ しんさい)
江戸に出て宇田川玄随(げんずい)・大槻玄沢に蘭学を学ぶ。玄沢の推挙で杉田玄白の養子となるが、放蕩のため離縁。寛政9年(1797)宇田川玄随の没後、迎えられて跡を継ぐ。文化10年(1813)幕府天文台の訳員となりショメールの百科全書を訳出。
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