山脇東洋の解剖を契機に、その後各地でも解剖が行われるようになり、その一つに杉田玄白(1733-1817)らによる解剖の立会いがありました。
明和8年(1771)江戸の小塚原で玄白、前野良沢(1723-1803)、中川淳庵(1739-86)らが見守る中で解剖が行われ、この時に持参したオランダ語の解剖書「ターヘル・アナトミア」の解剖図が、実物とそっくりに描かれているのに驚いて翻訳を決意したといわれています。
3年後の1774年に「解体新書」の名前で出版され、西洋医学が人体の認識において実証的であることを知らしめました。
「解体新書」デジタルアーカイブ