松岡恕庵の志を継ぎ、40歳まで師説を崩さず
師の恕庵は本草学の形成に功績を残した人物のひとりです。恕庵は蘭山が18歳の時に病気で亡くなり、その後は、師の遺志を継ぎ、独学で本草学を修めました。
身体虚弱であった蘭山は、仕官の道をあきらめ、25歳の時に京都に私塾・衆芳軒をひらき、京都での教育と研究は46年に及びました。師に最大の敬意を払っていた蘭山は、恕庵の師説を40歳過ぎまで崩さなかったといわれています。
記憶力抜群の蘭山
記憶力が抜群で、質問にはいつどこで見たのか、名称から内容まで答えるなどのエピソードが伝えられています。読書と抄写を無上の楽しみとし、薬草調査に出向くとき以外は外出することはなかったといいます。
文化7年(1810)に82歳で逝去。生涯、蘭山は本草学の研鑽を積み、教育に力を注ぎました。