身体虚弱を克服した蘭山は、71歳で江戸へ
寛政11年(1799)、71歳の蘭山は当時としては相当な高齢であるにもかかわらず、幕府の命により江戸の医学館に医官として招聘されました。身体虚弱な蘭山でしたが、本草学の研究成果を食養生法などの健康管理術として活用し、60歳の頃にはすっかり健康になったと伝えられています。
実物の観察を重視し、野外採薬に積極的に赴いた
医学館では「実物をよく観察すること」の大切さを強調し、門人を率いては実地調査である採薬に積極的に赴きました。蘭山の本草学のすばらしさは文献研究以外にも採薬によって得られた生きた知見がふんだんに加えられているところにあります。
蘭山の功績が、日本の本草学の集大成『本草綱目啓蒙』へ
江戸での講義は『本草綱目啓蒙』48巻にまとめられ出版され、この書物はわが国の本草書として高く評価されました。日本産の動物、植物、鉱物を網羅し、その和名、方言が収録され、その後も多くの本草学者に活用されました。