寛政11年(1799)に71歳の蘭山は幕府の命により江戸の医学館に医官として招聘されました。医学館では「実物をよく観察すること」の大切さを強調し、門人を率いては野外採薬(植物採取)に積極的に赴きました。
精緻な写生によって植物の特徴がよくとらえられています。美しい植物と簡潔な解説文が相まって、『花彙』は優れた植物図鑑として高い評価を得ました。
『花彙(かい)』小野蘭山 島田充房 共著宝暦13年(1763)草編4巻、木編4巻からなる植物図集。草編2巻を島田充房が、残りの絵を小野蘭山が描き解説。
中国の李時珍の『本草綱目』について蘭山が講義した内容を孫の小野職孝が筆記しまとめ、蘭山自ら校正をしました。原典に照らし、国産動植鉱物の和漢名、品種の異同、方言、形状の解説だけでなく、百科事典の内容も付加。本草1882種を書き表す大著で3年にかけて全48巻が刊行されました。
『本草綱目啓蒙』 巻之1-48小野蘭山口授 小野寳、(職孝)録文化2年(1805) 27冊
蘭山は利益や名誉のために本草学を修めることを嫌いました。学問を真剣に励む者だけに、長年の研究成果を教えたいと考え、「真を識る」に徹する事を望みました。このような蘭山の理念の一端を書幅に垣間見ることができます。
「方の恃(たの)むべきは薬也」
医師が拠るべきは処方であり、処方の恃むべきは薬であるという意味。
蘭山書(軸装)一行書185.0x47.5
「仁者は寿し(いのちながし)」
情深く慈しみ深い人である仁者は、長生きだという意味。
蘭山書(軸装)177.5x44.0
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