古代日本では中国や朝鮮半島の国々から渡来した人々が医療活動を担っていましたが、やがて国家が医師を養成するようになりました。鎌倉時代から江戸時代までは師弟関係に基づき医学教育が行われました。明治時代になると海外にならい、医師養成が行われるようになりました。
中国・漢代の歴史書『漢書』では、医家は「方技」、すなわち人民の生命を保つ長命術などの職人と考えられており、その考え方は日本へも伝わりました。 また、医師を「くすし」と呼ぶのは、処方を指示された薬を調合する役割が医師だったからです。
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