古代日本では中国や朝鮮半島の国々から渡来した人々が医療活動を担っていましたが、やがて国家が医師を養成するようになりました。鎌倉時代から江戸時代までは師弟関係に基づき医学教育が行われました。明治時代になると海外にならい、医師養成が行われるようになりました。
江戸時代、医師になる方法には4種類ありました。
「傷寒論」
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江戸時代、蘭方医学を学ぶ医師は、人体の構造に関する正しい知識が必要と考え、解剖書を読むだけでなく、実際に解剖することが必要であると考えました。オランダ船は蘭方医学とともに、それまで日本では知られていなかった薬物を運んできました。蘭方医学を学ぶ医師が増えると、新しい薬物への期待も高まりましたが、輸入した薬物は高価であるため、国産の薬物で代用できるものを探して用いました。
『(覆載)万安方』鎌倉時代の書物で、五臓六腑や経絡図が書かれている。
江戸時代の開業医はほとんど自宅を診療所としており、依頼があれば患者の家を往診しました。この頃の医師は現在の薬剤師も兼ねており、診察をした後はその場で自ら調剤して薬を手渡しました。他に患者が待っている場合は、後ほど患者の家族が薬をもらいに行きました。診察の合間には、医学書を読んだり、あるいは自ら執筆するなど、研究に勤しむ医師もいました。
往診用薬箱