病原体の存在が知られていなかった時代には、人から人へと次々とうつる感染症は疫病の神や悪鬼の仕業と考えられていました。まじないや民間療法にすがる人々に対して、医師は医学書をひもとき、あるいは実際に治療を行って経験を重ね、よい治療法がないかと探し求めました。
江戸時代には、病気と薬の番付表が製作された。「病薬道戯競」には「初編」と「二編」があり、向かって左側に病気、右側に薬の名前が並べられている。「初編」の病気の筆頭には「疱瘡(ほうそう=天然痘)」が、また「二編」の筆頭には「胎毒(たいどく=子どもが生まれつき持つ毒と考えられていたもの)」が挙げられており、どちらの病気ともに恐れられていた。
「病薬道戯競」初編(左)と二編(右)
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