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くすりの夜明け−近代の医薬ってどんなものだったんだろう?−
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くすりの夜明け 近代の医薬ってどんなものだったんだろう?

手当てとくすりのあゆみ
近代の医薬について紹介する前に、世界の医薬の歴史をざっとみてみましょう。もっと詳しく知りたい方は、この企画展の図録(※)を読んでみてください。
古代 中世〜近代
呪術から文明へ
古代社会においては、病気は悪霊の仕業や神の意志の表れと信じられ、病気を治すのはメディシンマンやシャーマンと呼ばれる呪術師の仕事とされた。

彼らは病人や怪我人の体内から悪霊を追い出すために、呪文を唱えたり、神秘的な力を持つ薬草を用いたりした。古代文明の時代になると、医薬についての知識や情報は言葉や文字を介して人から人へ、ある地域から別の地域へ、そして先祖から子孫へと伝わっていった。

古代文明の医薬
紀元前5000年頃、メソポタミア地方(今日のイラク)のシュメール人は、粘土板に楔形文字で医薬についての最古の記録を残した。

紀元前3000年以降の薬について粘土板には、植物性の薬は250種類以上、動物性の薬は180種類以上、鉱物性の薬も120種類以上記載されているとされる。

紀元前3000年頃成立したエジプト文明では、パピルスに象形文字で文書が記された。

医学については8種類のパピルス文書が残っている。紀元前1550年頃のエーベルス・パピルスには、体の各部の名称、病気の症状と治療法、800種類の処方などが記載されている。

中国では、ステップ気候の黄河文化圏、農耕が盛んとなった長江文化圏、および高温多湿の江南文化圏において、それぞれの風土にあった医術が発展した。

黄河文化圏においては、薬用植物が少なく、気候も厳しいため、体に直接施す鍼灸医術が芽生えた。長江文化圏では、天然資源が豊富なため、薬物療法が生まれた。江南文化圏では、急性熱性の伝染病が発生しやすく、数種類の薬物を配合した湯液による治療が行われ、適応する症状や体質の研究が進められた。これらは現在の漢方医学の原点となる技術・学問となった。

古代インドでは、ヒンズー教の経典のひとつ「リグ・ヴェーダ」に薬草と呪文による医学的治療が記載されていた。

その後5世紀には医師・ススルタが外科治療の方法を進歩させた。

ギリシア・ローマ世界とイスラム世界の医薬
古代ギリシアでは、医療神・アスクレピオスの神殿が病気療養の拠点となり、治療が行われた。紀元前5世紀にヒポクラテスが出た。

ヒポクラテスは伝承や迷信を退け、病気を自然の現象ととらえて、多数の論文を残した。後世の医師らはこれに基づいて、治療や研究を行った。74年にはディオスコリデスが『マテリア・メディカ』を著した。彼は生薬や薬学について詳しく記した。170年に古代ローマにガレノスが出て、古代医学を集大成した。その著作は、彼の複雑な処方のガレノス製剤とともに近世に至るまで用いられた。

古代ギリシア・ローマの医学・薬学の文献はイスラム国家拡大とともに、シリア語、ペルシア語を経て、アラビア語に訳された。9-11世紀にかけては、医師・アル=ラジ(ラーゼス)やイブン=シーナ(アヴィセンナ)が活躍した。

アル=ラジは麻疹や天然痘について論文を書き、イブン=シーナが『医学典範(カノン)』を著して当時の医学を体系的にまとめた。この著作は、17世紀までヨーロッパの医学教育に用いられた。また、錬金術が発達し、これがヨーロッパに伝わって化学や薬学発展の基礎となった。

図録※ 企画展「くすりの夜明け−近代の薬品と看護−」


世界各地の乳鉢乳棒
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マジョリカ焼の薬壷
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切手「アヴィセンナ」
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灸艾図(きゅうがいず)
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4.化学療法のはじまり 2.天然物からくすりを作る
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