化粧の風習ができたのは江戸時代とされている。白粉を中心とする化粧法だったが、紅、お歯黒、眉作り、艶やかな顔の魅力を引き出す工夫をした。 女性たちの素肌を清潔に整え、さらに美しくしてくれたのが化粧品と化粧道具である。
江戸時代の化粧は、現代と比べるとシンプルで、色にすると赤・白・黒の三色が中心だった。赤は口紅、頬紅、爪紅の赤。白は白粉。黒は黒髪、お歯黒、眉作り・眉剃りといった眉化粧である。化粧方法は、年齢や職業、身分、さらに未・既婚などが判別できるほど、女性の通過儀礼を節目としたしきたりに基づいていた。 そして、化粧の要(かなめ)は白粉化粧とされ、奈良、平安の時代から顔全体に塗る白粉には気を使った。「色白は七難かくす」というが、白さは顔のつくりや若々しさを補うだけでなく、「労働による日焼けがない=上流階級」というイメージも併せ持っていた。
歯磨きをする婦人
江戸時代の化粧道具
紅花(ベニバナ)からつくった口紅
江戸時代の洗顔方法は、絹や綿で作った小袋に、米糠(こめぬか)などを入れた「糠袋(ぬかぶくろ)」をお湯で濡らし、顔や身体をこすって洗う自家製の洗い粉が主流だった。米糠には、適度な油分とビタミンBが含まれているため、肌をしっとりさせ、肌荒れにも効果があった。 明治時代に入ると、自家製から市販品の洗い粉を買い求めて使うようになった。大豆や小豆の粉末にさまざまな生薬を配合したり香りをつけるなど、使いやすさ、美容効果、香りなどの付加価値をつけた製品が女性の心をつかんだ。
あせ知らず
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