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館長のトリビア
館長のトリビア
くすり博物館 半年の奮戦記 (2013.10.04)

 春に着任し、暑い夏を過ごし(当地は猛暑日が16日続きました。35度以上になると1度違うと体感が別世界を経験しました)あっという間に秋を迎えてしまいました。主に注力した活動は、(1)博物館長たるくすり・医療の歴史の知識習得(2)博物館の中長期のビジョンの策定(3)ビジョンを実現するための博物館のPR活動を行いました。それぞれの取り組み事項について少しご報告させていただきます。
(1)  くすり・医療の知識習得(知らなかったことが続々出てきました)
ほんのつい最近まで、人類と病の戦いは天然痘を始めとした感染症だった。
ii  平安時代の医療は僧侶と陰陽師の加持祈祷が中心だった。(源氏物語54帖で登場する病人に治療に呼んだのは僧侶だった)
iii  癌という病気は華岡青洲が麻酔薬通仙散を創製し1804年に乳癌手術をするまで人々にはさほど知られていなかった。
iv  昔は五臓六腑が中心で脳に関する事は触れられていなかった。
脚気は恐ろしい病気だった。日清戦争時の陸軍の病兵の半分(4万7千人)は脚気だった。
 そんな時に、京都の嵐山が台風18号で保津川が氾濫し旅館やお店が床下浸水の映像がTVで放映されていました。現代は、直ちに衛生状態が整えられるので疫病は発生しませんが、昔はあっという間に疫病が発生しました。平安末期の権勢者白河法皇も、「天下3大不如意」の筆頭が「加茂の水」でした。祇園祭は夏の加茂川の氾濫が起こらないよう、疫病が発生しないように、祈願したお祭りでした。
 くすり・医療の歴史から強く感じた事は、我々は恵まれた医療体制の中で生活しているのだということを認識した次第であります。
(2) くすり博物館のビジョン
 単なる集古の館でなく、来館者に知を提供できるところにするにはどうすればよいか。
創業者の思い(くすり博物館は集古の館ではない)、をどう実現するか検討してたどりついたのが、くすり博物館のビジョンを策定することでした。
くすり博物館ビジョン:
hhc理念の伝達および内藤豊次の設立趣旨に準拠した活動」
職員一同、このビジョンの実現に向けて来館者目線を持ちながら日々取り組んでおります。
(3) くすり博物館ビジョン実現に向けたPR活動
 次に、掲げただけでは意味がないので、1人でも多くの来館者にお越しいただくために、PR活動を、社内ではエーザイ名古屋COを皮切りに、川島工園全体研修、社外では岐阜県・地区教育委員会、岐阜県グループホーム協会を訪問しました。地区の教育委員会では、校長先生が反応した言葉は「中学生の将来なりたい職業は薬剤師」でした。また、グループホーム協会では介護保険制度の現状についてお伺いいたしました。
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