くすりの博物館
サイト内検索
もうひとつの学芸員室
人と薬のあゆみ 薬草に親しむ 内藤記念くすり博物館のご案内 もうひとつの学芸員室くすりの博物館トップページへ


遊ぼう!動かそう!中野コレクション
見てみて!くすり広告
パネルクイズ「資料でふりかえる鍼と灸」
やってみようツボ体操
薬と秤量によって毒にも薬にも
くすりの夜明け−近代の医薬ってどんなものだったんだろう?−
江戸に学ぶ からだと養生
綺麗の妙薬〜健やかな美と薬を求めて〜
病まざるものなし〜日本人を苦しめた感染症・病気 そして医家〜
江戸のくすりハンター 小野蘭山 −採薬を重視した本草学者がめざしたもの−
学芸員のちょっとコラム
館長のトリビア
館長の黙して語らず
由来(2007.06.15 事務長)
bar
事務長です

 博物館を見学するときに、収蔵品の由来を知って眺めると、趣が違ってきます。同じように地名の由来を調べてみると、その場所の歴史がわかって面白いですね。当館の現住所は「岐阜県各務原市川島竹早町1」となっていますが、「川島」は川島町が各務原市と合併した際に加わったものです。そこで「竹早町」の由来を調べてみました。

 エーザイが当時の川島町に工場を建設する際に、地名を決めさせていただけることになったそうです。エーザイ本社の所在地は、現在「東京都文京区小石川」となっておりますが、以前は竹早町と言われており、この旧町名であった「竹早町」から名づけられました。

 そこで小石川4丁目から5丁目にかけて存在した「竹早町」の由来を調べてみると、この辺りの江戸時代の地名は「小石川箪笥(たんす)町」と呼ばれており、「箪」の文字を上と下に分けて「竹早」になったという説があるそうです。

 実は、この小石川箪笥町は「大福餅」発祥の地として知られています。塩餡の入った「腹太(はらふと)餅」をベースに、餡を甘くして小ぶりにした「大腹(だいふく)餅」が1771年に発売され、のちに腹を福に変えたというのが「大福餅」の由来ということです。

 「大腹餅」のままでは食べ過ぎて、胴回りが大きくなってメタボリック症候群になりそうなので、なかなか良いネーミングの変更かもしれませんね。

エーザイ株式会社
コーポレートコミュニケーション部
下山信美
戻る
ご意見ご感想著作権について Copyright(C), Eisai Co., Ltd. All rights reserved.