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あくじょ(2007.03.16)
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館長です

 2007年初頭から忌まわしいニュースが乱れ飛び、テレビの報道番組から目と耳を背けたくなる気持ちを抑えられなかった。短大生遺体切断事件および新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件は、いずれも昨年末に発生し新年になって容疑者が逮捕された。前者は兄が妹を、後者は妻が夫を殺害し遺体をバラバラにして遺棄した事件である。外資系不動産投資会社のエリート社員であった夫を殺害した容疑者の妻は「悪女」であろうか。

 「悪女」とは言い古された言葉であり、歴史上「悪女」と呼ばれた女性が時折出現している。フランスのマリー・アントワネットや中国の三大悪女(漢の呂太后、唐の則天武后、清の西太后)などが引き合いに出されることが多いが、いずれも時の権力者を利用し、政治に大きな影響力を及ぼしたと言われており、前述の単なる殺人容疑者とは別次元の話というべきであろう。
 わが国の歴史上で「悪女」と呼ばれた女性の一人に藤原薬子(くすこ)がいる。薬子は藤原種継の娘で、中納言藤原縄主と結婚して三男二女をもうけた。その一女を皇太子・安殿親王(後の平城天皇)に嫁がせ、自らも付き添いとして後宮に入ったが、あろうことか、薬子本人が安殿親王と懇ろな関係になってしまったという。時の桓武天皇の怒りにふれて後宮を追われたが、桓武天皇が崩御し平城(へいぜい)天皇が即位(806年)すると、再び後宮に戻って尚侍(しょうじ)となり、兄の藤原仲成とともに天皇にとり入って権勢をほしいままにした。薬子の讒言により、桓武天皇夫人の一人藤原吉子とその子・伊予親王を自害に追いやったとも言われている。ところが、平城天皇はわずか在位3年で体調を崩して退位し、弟の嵯峨天皇に譲位して上皇となった。一説によると、平城天皇は一種のノイローゼであったという。その後、薬子と仲成は平城上皇の健康回復とともに、上皇の天皇復権と平城京への遷都を目論んでクーデターを企てた。世に言う「薬子の変(810年)」である。嵯峨天皇側の反撃でクーデターは失敗に帰し、仲成は射殺され、上皇は剃髪入道に、そして薬子は服毒自殺した。
 薬子が自ら仰いだ毒はトリカブトの根の煎汁であったという。成分はアコニチンで、呼吸困難・心臓発作を引き起こす猛毒である。また、「薬子(くすりこ)」というのは、元旦に献じられる屠蘇酒を嘗め試みる童女のことで、薬子(くすこ)には薬の知識もあったのではと想像される。いずれにしても相当の才女であったことは間違いないようだ。

 「悪人」という言葉はあっても「悪男」ということを聞いたことがない。女性だけ「悪女」というのは差別の謗りを免れまい。


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