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若き起業家(2006.03.17)
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館長です

 1月23日、ライブドア堀江貴文社長逮捕の報は、あっと言う間に日本全国はもちろん海外にまで駆け巡り、翌日の東京証券取引所を混乱の極に陥れたことはまだ記憶に新しい。新世代の寵児ともてはやされ、売れっ子タレント並みにマスメディアに登場していたホリエモンの逮捕は、「想定外」の強烈なインパクトがあった。ホリエモンが法を犯したとすれば全く弁解の余地はない。
 この事件の推移を傍観している内に、ふと二人の人物を思い出した。スティーブ・ジョブスとビル・ゲイツである。コンピュータ音痴、ITアレルギーを自認する筆者にとって、この世界の話題に触れることはタブーであるが、生々しい人間模様には無関心でいられない。ホリエモンを含め三人には、大学在学中に起業し、やがて上場企業に成長させたという共通点がある。しかし、その後の経緯は三人三様でそれぞれ異なった激しいドラマが展開された。

 1976年、スティーブ・ジョブスはスティーブ・ウォズニアックとジョブスの自宅のガレージで、マイクロコンピュータAppleTを造って売った。アップルコンピュータの創業である。時にジョブス21歳。ウォズが中心で再設計したAppleUが爆発的に売れ、1980年にアップルはわずか4年で株式上場を果たした。しかし、1981年に巨人・IBMがIBM-PCを引っさげてパーソナルコンピュータ市場に参入し、次第に市場を奪っていった。1983年、ジョブスは当時ペプシコーラの事業担当社長であったジョン・スカリーを口説き落としアップルの社長に迎えたが、やがてそのスカリーと対立し、創業者ジョブス自身がアップルから去ることになる(1985年)。その後ジョブスは新たにネクスト社を立ち上げた。ネクストは思うように販売が伸びなかったが、同じ頃、ルーカス・フィルムの一部を買収し創設したピクサー社がウォルト・ディズニーにCGアニメーションの売り込みに成功する。皮肉なことに1997年にネクストがアップルに買収されるに及んでジョブスはアップルに復帰することになる。正に波乱万丈の物語である。ジョブスは著しくバランスの欠けた性格で自己顕示欲が強く批判的な人が多い一方、強烈なカリスマ性で崇拝されている面もある。

 それまでワープロにすら触れたことがなかった筆者が、1993年に初めてパソコンを購入した。マッキントッシュである。シリコンバレーを舞台に繰り広げられたアメリカンドリーム・アップル物語に魅せられたからである。当時、アップルは間違いなく21世紀のエクセレント・カンパニーと断言する人もいた。その後、社用機がIBMに統一されたためにマックとの距離は遠のいた。奇しくも2週間前、かつての職場からマック処分の了解を求めるメールが届いた。


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