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2005年11月場所優勝の「第68代横綱・朝青龍」は数々の記録を塗り替えた。年間6場所完全優勝、年間成績84勝6敗、さらに前年11月場所から7場所連続優勝と輝かしい記録ばかりである。朝青龍はご存知の通りモンゴル出身で、相撲留学した明徳義塾高校にちなんで「朝青龍明徳(あきのり)」と命名したと聞いている。長い間一人横綱をつづけ、強力なライバル不在の状況下とはいえ、この成績には文句をつけようがない。
相撲はもともと寺社の勧進のためのものであったが、江戸時代には年2回の本場所が定着し、人気力士たちが江戸を賑わした。『大江戸なんでもランキング(中田節子著)』に記載されている「強剛力士十傑」によると、ランキング1位は「雷電為右衛門」であり、「谷風梶之助」と「陣幕久五郎」がつづく。
雷電為右衛門は1767年信州に生まれ、23歳で雲州松江藩のお抱え力士となり、29歳で大関に昇進、45歳で引退するまで生涯大関を維持した。生涯成績は、254勝10敗21分他で、勝率はなんと96.2%である。因みに朝青龍は、現時点で幕内勝率77.3%、入門以来勝率77.5%である。雷電は横綱になれなかったが、横綱は肥後細川家の家臣・吉田司家が認定するもので、何らかの事情があったに違いない。あまりに強すぎたために、かんぬき、張り手が禁じ手とされたという。ロボットアニメの「勇者ライディーン」は「雷電」をもじったもの。
谷風梶之助は1750年仙台に生まれた。19歳で江戸に出て力士になり、39歳のとき、吉田司家から小野川喜三郎と共に横綱を免許された。吉田家免許の横綱としては第1代である。力士としての力量だけでなく人望も厚く、色白・切れ長の目のイケメン(?)だったらしい。勝率は94.9%で63連勝(史上第2位)の記録をもつが、感冒がもとで45歳のとき現役のまま没した。
第12代横綱・陣幕久五郎は1829年に出雲国に生まれ、19歳のとき尾道の土地相撲に弟子入りした。その後江戸に出て39歳のときに横綱に昇進した。じっくり構える堅実な取り口で「負けず屋」の異名をとった。勝率94.6%で通算負け数5は史上最少である。江戸時代の最後の横綱となった。
身長226cm体重172kgの巨漢・釈迦ヶ嶽雲右衛門は谷風と、身長158cm体重82kgの小兵・両国梶之助は陣幕と、ともに互角の勝負をしたという。
江戸時代は年2場所であり、年6場所の現在との比較は難しいが、雷電、谷風、陣幕らが類まれな名力士であったことには間違いない。最近、テレビ桟敷で大相撲を観戦すると後部席の空席がやけに目立つ。外国人力士の隆盛を嘆く前に、琴欧州・稀勢の里など若手力士が奮起し朝青龍との名勝負を期待したい。

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