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天災は忘れる間もなくやってくる(2005.10.14)
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館長です

 カトリーナの後にリタがやってきた。米ルイジアナ州ニューオーリンズを襲ったハリケーン・カトリーナは甚大な災害をもたらし、1000人を越える犠牲者がでた。台風王国・日本としては他人事ではない。ハリケーンも台風も熱帯の海上で発生する「熱帯低気圧」が勢力を増したものであるが、東経180度を境に北西太平洋上で発生するものを台風、東側の北大西洋・北東太平洋・南東太平洋で発生するものをハリケーンと呼ぶ。インド洋ではサイクロンである。
 過去、ハリケーンには女性の名前が使われてきた。米国空軍や海軍の気象学者らが、ガールフレンドや妻の名前を愛称に使ったことに始まったと言われている。しかし、男女同権に反するということで、1979年以降は男性、女性の名前が交互に使われるようになった。日本ではその年に発生した台風を順番に「台風○○号」と呼んでいるが、2000年以降、台風にもアジア名がつけられる様になった。リストは世界気象機関・台風委員会が作成した。因みに、今年九州などに記録的な大雨をもたらせた台風14号は「ナービー(Nabi)」、韓国の台風委員会から提案されたもので「蝶」を意味するという。

 歴史の中でも台風がまつわる逸話は少なくない。もっとも有名な話は元寇、文永・弘安の役の神風であろう。当時中国大陸を支配していたチンギス・ハーンの孫フビライは文永11年(1274)と弘安4年(1281)に日本に遠征軍を送るが、圧倒的に劣勢の日本軍を救ったのは台風であり、二度とも暴風雨によって「元」は大打撃を受けたといわれている。時の執権は北条時宗である。天文16年(1543)に鉄砲が伝来したのは、暴風雨で種子島の南端門倉岬に漂着した明船に同乗していたポルトガル人が所持していたことによる。時あたかも戦国時代、鉄砲伝来は天下統一を左右するほど日本の歴史に大きな影響を与えた。天平勝宝5年(753)に来日し律宗の開山となるとともに、わが国の医薬の発展に貢献した唐僧・鑑真は6度目に漸く渡日に成功するが、6回の渡日トライの内3回台風に遭遇している。その間に激しい疲労により失明する。鑑真は盲目でありながら鼻でかぎ分けて薬物の鑑定をおこなったという。文政11年(1828)にシーボルト事件が起きる。長崎の港に停泊していたオランダ船が、九州一帯に吹き荒れた台風により岸に乗り上げ大破した。シーボルトの帰国荷物の中に国禁の地図や葵の紋服が見つかり、幕府天文方の高橋作左衛門景保および眼科の御殿医・土生玄磧は投獄、蘭館医・シーボルトは国外追放となる。

 スマトラ沖地震による大津波、新潟県中越地震、ハリケーン・カトリーナ、台風14号…天災は地球規模で、しかも忘れないうちにやってくる。

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