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やまいのこんじゃく(2003.09.19)
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館長です

 昨年末から今春にかけて重症急性呼吸器症候群SARSの流行で世界中が揺れた。WHOの報告では、昨年11月から本年8月7日までの患者数は8,422人、内死亡数916人(死亡率11%)であるが、幸いにも日本での流行はなかった。
 最近の統計よる我国における死亡率の高い疾病は、悪性新生物、心疾患、脳血管疾患の順であることは良く知られているが、いずれも感染性とは無縁であり、むしろ生活習慣病の延長ともいえる。因みに2000年の癌による死亡は約30万人、総死亡の30.7%を占めた。明治から昭和初期にかけて死因として高かった肺炎、結核、胃腸炎などの感染性疾患は、化学療法剤の出現などで激減した。しかし、現在なお、アフリカ諸国など発展途上国においては、AIDSをはじめ結核、マラリアなど感染性疾患が大きな問題となっている。

 時代を遡り、江戸時代のはやり病ワースト5は、疱瘡(天然痘)、コロリ(コレラ)、はしか(麻疹)、水痘(水疱瘡)、流行性風邪(インフルエンザ)であり、その他、瘡毒(そうどく:梅毒)、結核などの死亡率も高かった。
 疱瘡は『日本書紀』に既に記録がある。飛沫や接触によるウイルス感染で広まった。ジェンナーが種痘を発見したのは、1796年であるが、日本にもたらされたのは1849年以降である。古川柳に、「疱瘡に稚児の着ている緋の衣」と詠われたように、疱瘡にかかった子を赤ずくめにすれば軽くすむと信じられていた。コロリ(虎狼痢)はコレラ菌による激しい下痢と脱水症状で、あっという間に死に至るところからそう呼ばれた。安政5年(1858年)の大流行では、死者10万人〜26万人と言われている。はしかは栄養状態の悪い当時では肺炎を併発して死に至ることが多く、伝染力も激しかった。初めて流行したのは奈良時代の737年で、以後20年〜30年周期で大流行したという。肺結核は労咳(ろうがい)と言われていたが、病原菌の認識がなかった時代には、一種の心身症と考えられていた。とくに恋煩いが昂じて神経衰弱となり、労咳を誘発すると信じられ、「婿のとりようが遅いと名医云い」という川柳が残っている。
 いずれも治療法が確立し激減したが、現代でも流行するのはインフルエンザである。当時、はやり風邪と呼ばれており、享保元年の大流行では、江戸で1ヶ月に8万人が死んだという。「はやり風十七屋からひきはじめ」・・・十七屋とは飛脚業のことで、全国を走り回っている飛脚が流感も運ぶと皮肉った。

 いずれ、癌なども克服される時代がくると予測される。しかし、その時には、今は知られていない新たな疾病が、ヒトの健康を害し死亡の原因となることもあろう。やまいといりょう・くすりのおっかけっこがつづく。
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