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天下取りの健康法(2003.05.30)
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館長です

 徳川家康といえば、江戸幕府の初代将軍として誰一人として知らない人はいない。家康は75歳の天寿(当時の平均寿命では抜群の長寿)を全うしたが、その陰には家康流健康法が大いに貢献した。今でこそ、健康ブームとかセルフメディケーションの時代といわれているが、家康はその先駆者だったのである。

 家康は知る人ぞ知る医薬の大家であった。3代将軍家光が3歳のおり大病を患い、医者も匙を投げたが、家康が自家製の紫雪(しせつ:硝石など鉱物性生薬を主とする)という薬で救ったことは、春日局が日光東照宮に奉納した「東照大権現祝詞」に記載されている。また、出陣にあたり、生薬を配合した「御笠間薬」を笠のうらに隠して持ち歩き、陣中薬の先鞭をつけた。李時珍の「本草綱目」を入手するために、わざわざ林羅山を長崎までつかわせたり、製薬器具の薬研(やげん)、乳鉢・乳棒などを身の回りに置いたり、宋の陳師文らが著わし、室町から江戸初期にかけての我が国の医学に大きな影響を与えた処方集『和剤局方』を熟読したり、薬草・薬木を栽培させたり(後の駿府御薬園)・・・とにかく医薬に対する熱意は半端でなく、また豊富な知識をもっていた。

 家康は薬ばかりでなく、健康維持にも気を配ったといわれている。天下人になってからも、麦飯と焼ミソの節食を貫いた。ケチであったからではなく、ダイエットが目的であった。最近、麦飯の効用が喧伝されているが、すでに家康の健康法に取り入れられていたのである。家康は馬術、剣術、水練、鉄砲など武芸の達人であり、絶えず体を鍛錬したという。70歳のころ、鉄砲で200メートル先の的に命中させたという逸話もあり、視力も衰えていなかったと思われる。また、早起きして野を駆け巡る鷹狩に精を出し、足腰の鍛錬のみならず、ストレス解消に努めた。現代風に言えば、さしずめ早朝シニアゴルフといったところか。家康は二妻十五妾をもち、十六人の子を残したほど、その道も達者であったが、それが健康維持に寄与したかどうかは知るところではない。

 「織田がつき羽柴がこねし天下餅 すはりしままに食ふは徳川」という狂歌がある。絵師歌川芳虎はそれと分かる絵を版行し処罰されたという。徳川300年の礎を築いた家康は、決してタナボタで天下を掌中したのではない。ただ、信長、秀吉より長生きしたことと無縁とは言えまい。

 酒にタバコ、運動不足に太りすぎ、ストレス・・・中高齢サラリーマン諸氏、天下取りの爪の垢でも。同じ三河の出身者として反省不足を反省。
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