杉田玄白に学ぶ〜健康長寿の秘訣〜
(2017.07.28 伊藤恭子)
ヨーロッパの解剖書「ターヘル・アナトミア」を翻訳し『解体新書』を出版した杉田玄白が亡くなって本年は200年となります。翻訳の苦労は回顧録の『蘭学事始』に「誠に艫舵(ろかじ)なき船の大海に乗り出せし如く、茫洋として寄るべきかたなく、ただあきれにあきれて居たるまでなり」と記述されています。玄白がどれほど途方に暮れたか当時の心境がうかがわれます。翻訳書は日本の医学の発展だけでなく蘭学の隆盛に大きく貢献したのでした。
玄白は若狭国小浜藩医・杉田玄仙の子として江戸に生まれました。幕府の医師・西玄哲にオランダ医学を学び小浜藩医となりました。そして後に前野良沢、中川淳庵、桂川甫周とともに解剖書の翻訳に取り組むこととなるのです。玄白は85歳という当時としては長寿をまっとうし、医業のかたわら多くの著作を残しました。玄白の著書は『和蘭医事問答』や『形影夜話』が知られ随想集『狂医之言』や『後見草』なども刊行しています。68歳の時に、日頃の過ごし方を紹介する『養生七不可』を出しました。長寿の秘訣として友人に配ったといわれます。七つのしてはいけないことを簡潔にまとめています。
1.
昨日の非は悔恨すべからず。(昨日の失敗は後悔しない)
2.
明日の是は慮念すべからず。(明日のことは心配しない)
3.
飲と食とは度を過ごすべからず。(飲むのも食べるのも度を過ぎない)
4.
正物に非(あら)ざれば、いやしくも食すべからず。(変わった食べものは食べない)
5.
事なき時は薬を服すべからず。(何でもないのにむやみに薬を飲まない)
6.
壮実を頼んで房をすごすべからず。(元気だからといって無理をしない)
7.
動作を勧めて、安を好むべからず。(楽をせず適当に運動を)
『養生七不可』 杉田玄白著 享和元年(1801)
杉田玄白書簡
シンプルでわかりやすいですが、常に日々実施するのは簡単ではなさそうです。多くの患者の治療にあたり、病気にならないための日頃からの養生を重視していたのでしょう。玄白自身が健康で長寿であったのは、自らこのような生活をこころがける日々の積み重ねがあったからかもしれません。
また、杉田玄白が医師仲間から診断について相談され意見を求められた時に返答した書簡が残っています。これをみると「病気の見立ては正しいが治療法が大げさすぎるので、自分の経験によると、手当てはそこまですることはないでしょう。」とあまり触りすぎないように治療し、そういった場合の対処法を丁寧に教えています。200年以上前の書籍や書簡は、健康の秘訣やさまざまな患者の治療に取り組む医師など江戸時代の医療事情を伝えてくれます。
ページの上に戻る