くすりの博物館
サイト内検索
もうひとつの学芸員室
人と薬のあゆみ 薬草に親しむ 内藤記念くすり博物館のご案内 タマでもわかるお薬のはなし もうひとつの学芸員室くすりの博物館トップページへ


遊ぼう!動かそう!中野コレクション
見てみて!くすり広告
パネルクイズ「資料でふりかえる鍼と灸」
やってみようツボ体操
薬と秤量によって毒にも薬にも
くすりの夜明け−近代の医薬ってどんなものだったんだろう?−
江戸に学ぶ からだと養生
綺麗の妙薬〜健やかな美と薬を求めて〜
病まざるものなし〜日本人を苦しめた感染症・病気 そして医家〜
江戸のくすりハンター 小野蘭山 −採薬を重視した本草学者がめざしたもの−
学芸員のちょっとコラム
館長のトリビア
学芸員のちょっとコラム
聴診器と打診器 (2010.07.02 稲垣裕美) コレクションノート 近代の医療器具とくすり

 診察をする際、聴診や打診をするのは今ではごく当たり前のことであるが、聴診器や打診器、またその聞いた音を分類して診断に活用するようになったのは、19世紀のことである。ここでは、聴診法や打診法および器具が生まれた経緯と、かつて用いられた器具を紹介する。

<聴診法と聴診器>
 古代エジプトや古代ギリシアにおいて既に、患者の胸に耳をあて、心音や呼吸音を聞くことは行われてきた。この方法を直接聴診法と呼ぶ。これに対して、1819年にフランスのラエンネックが発明した方法は、間接聴診法と呼ばれる。
 ラエンネックは勤務先の病院で、臨床医学者兼病理解剖学者として研究を進めていたが、1816年、体格のよい女性の患者の心音をよく聞きとることができるよう、紙製の聴診器を作った。これは、厚紙を筒状に丸めて糸で縛り、膠(にかわ)を塗って固めたもので、片耳で音を聞くものだった。その後彼は木製のものを製作し、多くの病気についての所見を残している。
 この発明のきっかけには諸説がある。一般的な説では、二人のこどもが長い棒を持って遊んでいるところにラエンネックが通りかかった時、一人のこどもが棒をがりがりとひっかいた音を、もう一人が棒に耳をあてて聞いていたのをヒントにした、といわれている。
 1829年にはイギリスのカミンズが片耳用の曲げられる聴診器を作った。現在のような両耳用の聴診器が開発されたのは、1850年代以降である。1850年にアメリカの医師・キャマンが、1851年にはリアードが、それぞれ違う型の両耳用聴診器を製作した。1860年代にはアリソンがチューブが2本ある示差聴診器を製造した。なお、日本における聴診器の歴史は、1848年(嘉永元)にオランダの医官・モーニケが持ち込んだことに始まる。


(上)聴診器 木下式
Z01882
(下)聴診器 木下式
Z01883

聴診器 木下式
Z01884

聴診器
Z12822

腹診器
Z17727

聴診器 トラウベ氏式
Z26464

聴診器 東大式
Z26426

聴診器(集音部のみ)
Z12820

聴診器(集音部のみ)
Z12819

聴診器(集音部のみ)
Z12818

<打診法と打診器>
 オーストリアの医師・アウエンブルッガーは1761年に著作の中で、患者の胸部を直接打診する方法と、その音により異常がないかどうかを判断する方法を提案した。
 この方法は、アウエンブルッガーがこどもの頃の思い出にヒントを得て考案したといわれている。彼の父は居酒屋を営んでおり、ワインの樽を叩いた時に、酒が入っている位置まで来ると叩いた音が鈍くなることから、樽の中身の減り具合を調べていた。アウエンブルッガーは、人体も叩いた音により体内の状態がわかると考えた。そして、患者の死後に病理解剖をしてみると、鈍い音がしたところに病巣が見つかった。
 ただ、彼の論文は短く、診断法の大筋を述べたに過ぎず、当初は注目されなかった。1808年にフランスのコルヴィザールが彼の論文をラテン語版からフランス語に翻訳する時に、打診した際の音の特性や、音のもととなる解剖学的な異常について説明を加えたことで普及が進んだ。
 また、1826年には、フランスのピオリーが胸と打診器の間に固い物を置くと、音が明瞭に聞こえることから、打診板を用いた。1839年には、ドイツのスコーダは打診法と聴診法についての論文を書いた。彼は打診音と聴診音を物理的に分類した。1841年には、ドイツのウィントリッヒが打診器を発表した。その後、ゲルハルトが考案した手指打診法の方が優れていたので、やがて打診器は腱反射を調べる道具として用いられるようになった。


(上)打診器
Z26263
(下)打診器
Z12815

打診器
Z12821
戻る
ご意見ご感想著作権について Copyright(C), Eisai Co., Ltd. All rights reserved.