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五円玉と真珠に息づく匁の歴史(2007.11.09)
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 穴のあいた貨幣は世界でも珍しく、日本を訪れた外国の方は5円玉や50円玉を初めて手にすると驚くそうです。穴の理由は、(1)材料の節約 (2)他の貨幣と区別しやすい (3)偽造しにくい (4)視覚障害の方が間違えないなどありますが、現在では穴の材料費よりも穴をあける手間に費用がかかるため、(2)〜(4)の理由から穴をあけているそうです。

 特に、五円玉は縁起の良い硬貨、「ごえん」が「ご縁」に通じる、あるいは穴があいていることから見通しが良いといわれ、神社等への賽銭として好まれています。デザインに描かれている稲の絵は農業、裏の木の芽は林業、水の絵は水産業、穴のまわりのギザギザは歯車の絵で工業を表しているとのことで、日本国の基盤となる産業がモチーフとなっていて、意味深いデザインです。終戦後に焼け野原となった日本で、大砲の薬莢(やっきょう=火薬をつめる筒)を潰した材料から鋳造されて、「平和に暮らせますように」「産業が盛んになって国が栄えますように」という平和への願いが五円玉に刻まれました。

 古い時代の銭貨は、製造工程上の理由から穴が必要でした。一度に数枚が製造されたため、鋳造後はプラモデルのパーツ板のような形をしていました。それを折り取って作られた貨幣のふちにはバリが残りました。そのため、ヤスリをかけて周囲をなめらかに擦る必要がありました。真ん中の四角形の穴は、棒を差し込んで大量枚数のバリ取り作業を行うためのものでした。その穴は、貨幣の貯蔵や移動の際に、紐を通して使うこともできたので便利でした。銭貨1000枚を貫通させて一まとめにしたことから、「1000匁(もん)=1貫(かん)」となったとされています。

 現在と同じ材質、黄銅(銅60〜70%/亜鉛30%〜40%)の五円硬貨の誕生は昭和23年のこと、しかし23年製の五円玉に穴はなく、穴があくのは昭和24年以降です。直径は22ミリメートル、質量は3.75グラムでちょうど1匁、江戸時代の代表的な銭貨「寛永通宝」を意識して、同じ重さにしたとされています。

 さらに遡ると、7世紀の中国の庸代の貨幣「開元通宝」が起源です。当時の日本でも流通し、貿易ではこの貨幣が基準となって、「銭」「文」「文目」「匁」、いずれも同じ重さの単位として使われていました。こうした穴あき貨幣の形をもとに、日本で最初に鋳造された「和銅開珎(708年)」、江戸時代の一文銭「寛永通宝(1636年〜1860)」へと継承されました。

 くすり博物館で所蔵している江戸時代の古文書や、薬の処方が書かれた薬方書の中にも、生薬の量が匁や貫などで記載されているものを多くみかけます。しかし、昭和33年(1958年)の尺貫法廃止によって、国際的なメートル法の「g(グラム)」表示に統一されて廃止となりました。

 現在、薬や品物の重さを表す単位として「匁」は使いませんが、真珠の大きさだけは、今でもMonmeが使われています。ダイヤモンドの大きさをCarat(カラット)で表すのと同じように世界中で使われている真珠の単位です。日本から世界に送り出した白い宝石、首を飾る真珠のネックレスは宝石の匁を糸に貫通させたもの、今でも、輝く真珠と縁起の良い五円玉の中に匁の由来が息づいています。

1貫=1000匁=3.75kg
1匁=10分=3.75g
1分=10厘=375mg
1厘=10毛=37.5mg
1毛=1/10厘=3.75mg


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