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大正時代を代表する洋画家・岸田劉生(りゅうせい)といえば「麗子像」「童女」を思い浮かべる方もいるのではないでしょうか。劉生は愛娘の麗子の肖像画をたくさん描いていますが、おかっぱ頭で静かに微笑む少女の絵は、ダビンチの「モナ・リザ」にヒントを得たといわれています。「麗子像」は美術の教科書や歴史資料集にも掲載されていて、私は以前この絵の気迫に怖ささえ感じました。インパクトが強く印象に残る作品です。今一度じっくりと本物を鑑賞してみたい気がします。
さて、洋画家の鬼才として知られる劉生ほどは一般に知られていませんが、劉生の父・岸田吟香(ぎんこう)は日本で最初の従軍記者として活躍した時代の先覚者でした。また、薬の事業家としても成功しています。薬の製造、販売を手がけ、東京の銀座に薬店の楽善堂を開きました。
当館には、岸田吟香が明治時代に売り出した液体目薬「精リ水」(せいきすい)が常設展に展示されています。これは日本で最初の液体目薬で、主成分は硫酸亜鉛(Zink Sulfate)です。アメリカ人の医師ヘボンは、吟香がヘボンの『和英辞書』の編纂を手助けしたお礼に、処方を吟香に教授したのです。それまでの日本の目薬は練り薬で、目のふちに塗るものが多く、液体のものは目洗薬と呼ばれ、粉薬の入った布袋を水の中でもんでその上ずみで目を洗うものしかありませんでした。
吟香はジャーナリストの経験を活かし、新聞広告でうまく宣伝したため、店で扱う薬もよく売れたようです。
当館には明治時代の薬の広告が他にもいろいろありますが、「楽善堂三薬」と「精リ水」の広告の絵の構図、色の配色は斬新でセンスがよいと思います。劉生は父・吟香のセンスの良さを受け継いだのかもしれませんね。
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