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1998年4月29日〜10月18日

企画展「くすり収納のかたち〜印籠から百味箪笥まで〜」開催

●医家の薬箱

往診用薬箱は、医師が往診先に持って行くもので、もともと薬籠とよばれました。鎌倉時代初期には小さな紙袋に薬種を入れ、箱に収めて携帯したとされています。後に医師の風格を表すように、細工や意匠にも凝り、実用的であり、かつ工芸品として美術的価値のあるものもみられるようになりました。

薬箱は小さな紙袋や、小箱に必要な薬が収納できるような構造となっています。薬は流派によって異なっており、また、道具が収められているものや、細部に種々の工夫がされたものなど、それぞれ特徴があります。

●漢方医の薬箱

医師は常用の薬種を薬箱に収めて携えました。往診先の患家で、薬匙や薬包紙を押さえる圧尺などが使われました。薬箱の形や構造はいろいろあり、数段の抜き引出しや重箱式、小型百味箪笥式のものなどがあります。 漢方医が主流であった頃から明治の中頃まで、多く用いられました。


<清水口周栄の薬箱 / 文久2年(1862)/ 34×52×47cm >
清水口周栄の薬箱
高山郊外・朝日村の医師、清水口周栄 [天保5年(1834)〜大正8年(1919)]の使用
した薬箱です。100以上の薬名がみられます。大工・飾り職・塗師の名前が書かれています。二つの鎧の間に棒を通して担ぎます。


<往診用薬箱 / 19×32×27cm>

往診用薬箱

美しい装飾が施され、朱塗の中箱がみられるように、外箱を重ねています。


●洋方医の薬

幕末には蘭方医がもてはやされ、さらに明治になり、西洋医学の普及とともに、医師が用いる薬は、洋薬へと次第に変わっていきました。明治7年我が国初めての医薬制度である「医制」によって漢方医は衰退していき、医学校の開設、医学生の増加などによって、洋薬の需要が増えました。


<シーボルトの薬箱 / 江戸後期(1823〜1829) / 28×39×36cm>

シーボルトの薬箱


文政6年(1823)に蘭館医として長崎に着任したシーボルト(Philipp Franz von Siebold 1796〜1866)は6年間の滞在中、鳴滝に塾を設け医学・博物学・天文学・化学などを教えるとともに診療に従事しました。薬箱にはあいにく薬品は欠落していますが、外科道具が収められています。外蓋をかぶせ、皮のベルトをかけて持ち運びます。


<往診用薬箱(洋方医)/ 江戸末期〜明治初期 / 16×24×23cm>

往診用薬箱(洋方医)


杏仁水、稀塩酸、ドーフル散など53種の薬にメスシリンダー、乳鉢、乳棒、秤などが収められています。




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