西洋医学を重んじた明治政府は、江戸時代から続く売薬(市販の薬)を生活必需品ではないとし、無効な売薬を順次減らす目的で明治15年(1882)から売薬印紙税を課した。
売薬印紙税は製造業者が定価の10%の売薬印紙を購入して製品に貼付する税であり、資料はその印紙が貼付された薬である。消費者ではなく、製造者にかかる税であり、とりわけ配置売薬業者は顧客へ無料で預けておく製品の分まで税を負担する事態となり、生産額が施行前年は672万円だったが、翌年には85万円と激減している。
明治19年(1886)には回収した売薬印紙を交換できるようになったものの、大正15年(1926)にこの税制が廃止となるまでの44年間の重税は、配置売薬業の衰退を招いた。
国家としての日本は、第一次世界大戦後の恐慌を経て欧米に並ぶ工業国となったが、その発展の一端は、薬袋に貼られた小さな1枚の印紙が担っていたのかもしれない。 |
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売薬印紙が貼られた薬袋 明治〜大正時代 解熱鎮痛剤・ヘブリン丸の定価は5銭であり、5厘の売薬印紙が貼付されている。 |