化学療法が発達する以前、結核の内科的治療には充分な栄養と安静を与えるくらいしか方法がなかった。結核菌は肺の中で免疫細胞と攻防をくりひろげ、乾酪巣と呼ばれる病巣を形成する。宿主(人間)の抵抗力が強ければ、病巣は菌とともに石灰化するが、抵抗力が弱ければ治りかけの大きな病巣はこわれ、再び菌が肺の各所に広がり空洞を形成する。呼吸によって肺が動き、病巣が広がってしまわないようにすることも重要な治療の一つと考えられた。
資料は人工気胸器と呼ばれる結核の治療器である。胸の側面(わきの下)に針を刺し、空気を注入することで人工的に気胸と同じ状態をつくりだし、肺を萎縮させ、肺の動きを抑制するのである。イタリア人医師Forlaniniが1888年に考案したこの方法は、昭和30年(1955)ごろまで用いられ、遠藤周作の小説『海と毒薬』の中でも描写されている。太い針を胸に刺すのは相当不安を感じさせたであろう。
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人工気胸器 昭和時代
人工気腹気胸器 昭和19年(1944) |