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内藤記念くすり博物館 近代化産業遺産認定コレクション

<その31>医薬品 経営者は胃が痛い−太田胃散−

 太田胃散は一世紀を超える歴史をもつ胃腸薬である。武家に生まれた創業者の太田信義は、明治11年(1878)に商人へ転身したが、慣れない仕事のストレスで胃が不調になり、緒方拙斎(緒方洪庵※1の娘婿)の治療を受けた。処方された薬がオランダ人医師・ボードウィンの処方であることを知った太田は、これを改良し、明治12年(1879)に 「雪湖堂の胃散」を発売した。太田は品名を「太田胃散」に改め、全国的に広告戦略を展開した。

 胃腸薬の漢方処方に使われる肉桂(ニッケイ)、丁子(チョウジ)、茴香(ウイキョウ)※2などの生薬に胃酸の働きを抑える成分として、重曹と炭酸マグネシウムを配合し、胃から肛門に到るまでの消化器官をリアルに描いた広告で効能を謳っている。身体のしくみを理解した上で使用してもらう意図ともとれるが、当時の人々は生々しい説明図にさぞかし効果を期待したことであろう。湿気対策のため、ブリキ缶を容器に採用したことも当時としては珍しく、広告には「ブリッキ」缶として紹介されている。日本の急速な近代化は、自身の胃の不調すら商売にしてしまう経営者たちが後押ししたのは言うまでもない。

※1 緒方洪庵・・・江戸時代の蘭方医である。適塾は洪庵の開いた塾で大阪大学医学部の前身。
※2 漢方では芳香健胃薬とされる。胃腸の蠕動運動を亢進させる作用がある。
太田胃散のちらし 明治時代
太田胃散のちらし 明治時代

太田胃散 昭和20年以前
太田胃散 昭和20年以前

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