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内藤記念くすり博物館 近代化産業遺産認定コレクション

<その29>保健衛生 こわいコレラ 猛威を振るう

 コレラは激しい下痢で脱水症状を起こす腸管感染症である。日本でのコレラの流行は文政5年(1822)が最初とされ、江戸で3万人の死者が出たと記録されている。展示の資料は安政5年(1857)刊行の「荼毘場混雑之図(やきばこんざつのず)」である。コレラによる死者の棺桶が山積みとなった焼き場(火葬場)の様子が描かれている。

 当時は病原体の存在や感染の仕組みが知られておらず、白沢※1などのコレラ除けのお守りや祈祷などの神頼みも多かった。

 17世紀に顕微鏡が発明され、微生物の存在が知られるようになった。ドイツの医師・ロバート・コッホがコレラ菌を発見し、ようやく病原体がつきとめられたのは1884年のことである。感染のしくみと疾病の成り立ちについての理解がすすみ、衛生教育が施されるようになった。検疫の実施や上下水道の整備、適切な治療方法により、1916年の流行を最後に国内でのコレラ発生は海外渡航者などによる散発的なものにとどまっている。

※1 白沢=古代中国の想像上の神獣でコレラ流行時に病魔除けとして各地に出回った。
荼毘場(やきば)混雑之図
荼毘場(やきば)混雑之図

レーウェンフックの顕微鏡(複製)
レーウェンフックの顕微鏡(複製)

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