19世紀にイギリスで産業革命が起こると、都市部の人口密集化が進み、結核患者が急増した。不衛生な環境下での過酷な長時間労働や慢性的な栄養失調が結核を流行させた。日本では、結核は喀痰(かくたん)によって伝染するという当時の学説に基づき、人が集まる場所には痰壷を設置し、痰壺以外では痰や唾を吐いてはならないという「結核予防規則」が1904年に施行された。
結核による死亡者が最も多かったのは1918年であった。この年、人口10万人あたり257人が死亡した。蔓延する結核の予防対策としたのが、知識の普及である。行政機関では、栄養摂取や公衆衛生の重要性を告知した。埼玉県警察部衛生課でもポスターを発行して民衆に呼びかけている。
結核を激減させたのは、BCGワクチンと抗結核薬の登場である。1882年にコッホが結核菌を発見、1931年にカルメットとゲランが結核に有効なワクチン「BCG」を開発、1944年にワクスマンらが抗生物質(ストレプトマイシン)を創製したことによって、「結核=死」ではなく、ほぼ完治可能な病気となった。2010年現在の結核による人口10万人あたりの死亡者は1.7人に減少した。
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「結核ノ知識ト予防」 埼玉県警察部衛生課 昭和15年(1940) 54×39 結核は、国民病とも恐れられ、ちらしや歌、ポスターなどを配って予防方法が告知された。 |