1864年、スイスのデュナンは国籍を問わず傷病者を看護する救護団体・赤十字社を設立した。この理念はまたたく間に世界中に広がり、明治10年(1877)には、現在の日本赤十字社の前身である博愛社が設立された。明治21年(1888)には最初の活動として磐梯山(ばんだいさん)噴火時の災害救助を行った。
明治23年(1890)からは看護婦養成が開始された。当時は西欧列強による帝国主義拡大の様相を呈しており、日本赤十字社も軍の監督下に置かれ、日露戦争以降、戦時救護活動が中心となった。
その頃の活動の様子や患者輸送船、汽車病院などの設備は、明治29年(1896)の「我野戦病院之図」や明治33年(1900)の「赤十字双六」に見ることができる。画像の絵葉書は活動普及に使われたもので、篤志(とくし)婦人会の包帯調整作業の写真が使われている。(いきゅう)や行李は、戦地での薬品や器具運搬用の大型容器であり、このほか折り畳み式調剤台も携行された。第二次世界大戦中、日本赤十字社は軍の指揮下にあり、救護員は非戦闘員とは見なされず、攻撃を受けた。このためビルマ(現;ミャンマー)では派遣数の1割を超える看護婦が亡くなっている。
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