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内藤記念くすり博物館 近代化産業遺産認定コレクション

<その16>広告 1年間見続ける−暦入りの広告−

 中将湯は津村順天堂(現在の株式会社ツムラ)より明治35年(1902)に発売された婦人薬である。商標として使われた中将姫は室町時代の伝説上の人物で、姫の教えた薬の処方が津村家の先祖に伝わったという逸話がある。中将姫は江戸時代には能や浄瑠璃(じょうるり)の題材ともされる程の人気キャラクターで、他の有名婦人薬に対抗するため中将姫を描いた同社の暦入り広告は大衆に喜ばれた。

 日本では明治5年(1872)に改暦により太陽暦となったが、民間で風紀を乱さぬ範囲内で暦の出版が認められたのは明治16年(1883)のことである。以降、このような暦入り広告は大正時代まで盛んに作られた。

 改暦は、外交・交易上の不便解消と近代化のアピールが目的であったが、裏には明治政府の厳しい財政事情もあったとされる。改暦によりわずか2日間となった12月と翌年の閏月(うるうづき)の2か月分の官吏の給与を削減できたからである。突然の改暦に世間は混乱したが、福沢諭吉らの啓発により次第に太陽暦は庶民に定着した。年末年始の挨拶に配られた中将姫の美しい暦入り広告も、太陽暦の定着に一役買ったのかもしれない。

※閏月=1ヶ月を29日もしくは30日とした太陰暦で、実際の天体の動きとのずれを修正するために余分にもうけた月。数年に一度、閏月を入れることで1年を13ヶ月として調整した。
暦入り広告「中将湯」 大正3年(1914)
暦入り広告「中将湯」
大正3年(1914)

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