人間が生きていく上で、必要な栄養素を十分量摂取することは健康維持に不可欠である。しかしながら、人類は常に飢餓と隣合わせの歴史を歩んできた。日本でも江戸時代まではたびたび飢饉に見舞われ、栄養不良による病気や死亡は珍しくなかった。
明治時代に入ると、政府は海外の列強と対抗するため富国強兵の政策を取るようになり、兵役に適した屈強な体格の人材確保に迫られた。このような社会情勢から、国民の栄養状態を改善する食物や滋養強壮を目的とした薬品の需要が高まった。
「次亜燐」は、大阪・小西久兵衛より発売された栄養剤である。その看板には望ましい体格として力士の姿が描かれ、「人体の肥料 牛乳の数十倍」と効能がうたわれている。ちらしは、薬瓶をかたどったデザインで、効能として肺病・貧血病・胃病の際、消化を助け、体格を強固にすると書かれている。
もともとは医師の処方により使われていたが、顧客の要望により明治33年(1900)に市販された。ちらしには次亜燐酸カルシウムを配合したシロップ剤であると記され、江戸時代の効能のみの表記から化学成分の効能表記への過渡期であったことがうかがえる。
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 看板「次亜燐」 明治時代
 ちらし「次亜燐」 明治時代 |