日本では、江戸時代まで木造家屋の中で火を起こして炊事や暖房に用いていた。特に豪雪地方では、冬の間戸を閉め切って火を焚くため、煙が家屋内にこもりやすく、目を患う人が多かった。当時は、まぶたの縁に塗る軟膏や、薬効成分の入った水で目を洗う薬を眼病治療に用いていた。
液体の目薬が普及したのは明治時代である。実業家であり新聞記者でもあった岸田吟香(ぎんこう)は、アメリカ人医師・ヘボンより硫酸亜鉛を主成分とする液体目薬の処方を教わった。そして、東京・銀座に楽善堂という薬屋を構え、「精リ水(せいきすい)」という名前で目薬を販売した。これが日本で最初に販売された液体目薬である。写真の資料は精リ水の瓶と外箱で、外箱が残っているものは珍しい。
また吟香は、明治時代の風俗を取り入れた錦絵広告や、新聞広告などに力を入れた。そのため、精リ水は液体目薬という形状の珍しさだけではなく、巧みな宣伝効果により、有名な売薬となった。
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薬品「精リ水」 コルク栓のはまったガラス瓶には「精リ水」の文字が浮き彫りになっている。/昭和20年以前
錦絵広告「楽善堂三薬」 広告を見ている人を題材にした構図は明治時代には斬新であった。/明治時代 |