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内藤記念くすり博物館 近代化産業遺産認定コレクション

<その5>救急箱 −いざという時に−

 突然の怪我や急病の際に、救急箱はなくてはならないものである。現在では、防災用として備えてある家庭も多い。

 「救急箱」の「救急」の語の元々の意味は、「急難を救うこと」とあるが、「救急」「救急箱」という言葉が使われるようになったのは、日本赤十字社の書籍から明治後期以降のことと推測される。

 1925年(大正14)に刊行された『広辞林』(三省堂)では、1923年(大正12)の関東大震災後ということもあってか、「救急箱」は、「急病又は負傷などに、当座しのぎの手当をなすため、普通使用せらるる薬剤其他を順序よくいれたる箱」と説明されている。1930年(昭和5)刊の医療器具のカタログ『山口商報』には、「携帯救急治療凾」が掲載され、その利用先・利用目的として、「各官衙(かんが;役所)、各学校、集会所、劇場、寄席、大会社、商店、工場、船舶、農業、旅行、其他」が挙げられ、当初の用途は、人々が多く集まる場所への設置であったことがうかがわれる。

 昭和初期には、戦地における衛生兵や赤十字社の活動が新聞やラジオを通じて知られるようになる一方、軍国主義の下で、常に非常事態に備える必要があった。したがって、必需品として認識され、一般家庭へと普及していったのはこの頃ではないかと思われる。
 写真の資料は、大正時代に雑誌社が通信販売していた救急箱である。その中身は、健胃錠・稀ヨード丁幾(チンキ)等の薬品と包帯・ガーゼ類である。
救急箱 大正時代
救急箱
大正時代

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