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愛知県と岐阜県の県境は木曽川である。旧川島町(岐阜県)はその木曽川の河口から約50Km遡った中洲にあった。単独の市町村で全域が川に囲まれた全国唯一の町であったが、2004年11月に各務原市に編入された。
その昔、川島町は愛知県側、岐阜県側とも「渡舟」が唯一の交通手段であった。橋が架けられたのは、愛知県・一宮市と結ぶ「河田橋」(こうだばし、当時は木橋)が最初で、大正11年(1922)のことである。岐阜県側の「川島大橋」が開通したのは昭和37年(1962)とかなり遅い。その翌年(1963)に愛知県・江南市と川島町東部地区との間の「小網橋」も完成している。
昨年11月5日、小網橋に隣接して新しい橋が完成し、三世代夫婦を先頭に渡り初めのセレモニーが挙行された。「神明小網橋、通称:思いやり橋」である。
小網橋は橋長280mありながら幅はわずか3mで、乗用車でも1台の通行が限界で、もちろん大型車両の通行は不可能である。橋の中央部分に退避所があり、すれ違いできるように膨らみがつくられているが、双方から3台までがすれ違いできるギリギリである。朝夕のラッシュ時には両側から4台以上の車が突入し、橋の中央で「そちらがバックしろ」「いや、お前の方こそさがれ」と言い争いが絶えず、誰言うともなく「喧嘩橋」と呼ばれていた。狭い橋ではバックも儘ならず、うっかりするとボディを橋の欄干で擦りかねない。その上、歩行者や自転車も通行するので混乱は当然である。見兼ねた地元小網地区のこども会が橋の両側に「譲りあってください。橋の中央待避所は車2台までです。歩行者・自転車にもおもいやりを」という看板を立てた(1988年)。以後、トラブルは激減したという。通称が「思いやり橋」に替わったのもこの時以降である。このことは、公共広告機構のキャンペーンとしてテレビCMで流され、2003年度の消費者のためになった広告・JAA会長賞を獲得した。
各務原市と江南市が総工費約17億円かけて昨年完成した新橋は、橋長323mで2車線と歩道を含めた道幅は11.5mあり、大型のトラックやバスの通行も可能である。橋の完成に先立ち愛称を募ったところ、「思いやり」が圧倒的な支持を集めたという。かくして「思いやり橋」ジュニア(正式名:神明小網橋)が誕生した。初代「思いやり橋」は本年3月までに取り壊されると聞いている。
筆者も10数年間「小網橋」を利用した一人であり、トラブルの経験も少なくない。二代目「思いやり橋」完成の有り難味をしみじみ実感しているが、長年小網橋を利用した者でないと理解できないことである。未だに「思いやり橋」の袂では無意識にブレーキを踏み、橋の前方をうかがう癖が抜けきれていない。

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