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堀江貴文前社長逮捕後、グループ企業の離脱、提携解消などの現実に直面しながら、ライブドアは平松新社長を中心に再建策に懸命と報道されている。白馬の騎士としてUSENの宇野康秀社長が名乗りを上げた。ライブドアの中でも真面目にかつ懸命に働いている社員も少なくないはずである。平松−宇野ラインによる新生ライブドアの誕生を待ちたい。連日のように報道されてきたライブドア事件も、4月14日の東京証券取引所による「上場廃止」、4月27日の堀江貴文保釈の報道後は、村上ファンド事件で再登場することになった。
先に、かつての若き起業家の一人として、アップルコンピュータのスティーブ・ジョブスを追ったが、ハードウエアのジョブスに対しソフトウエアの雄・ビル・ゲイツを語らないわけにはいかないであろう。
ビル・ゲイツとポール・アレンは、アルテア社製コンピュータ用のBASICプログラムを完成した年の夏、マイクロソフト社を設立した。ゲイツ19歳、ハーバード大学在学中の1975年のことである。二人はまだ目新しいパソコンのソフトウエアが、将来極めて有望なビジネスのなるであろうという信念で一致していた。1981年、IBMがパソコン市場に参入した時、IBM-PC用のOS(基本ソフト)の一つにMS-DOSが選ばれた。OSの成功はそのシステムを利用するアプリケーション・プログラムの多さで決まる。ゲイツらはソフトウエア会社を奔走し商品群の開発を促したという。その結果、MS-DOSは最も人気の高いOSとなり、事実上の業界標準規格までなった。やがて全世界のPCのOSを供給する大会社に発展していった。「ソフトウエアこそが未来をつくる」と決め込んだマイクロソフトと、優れたハードウエアを持ちながらOSを開示しなかったために、激しい浮き沈みの憂き目を何度も経験したアップルコンピュータとは好対照である。プログラミングの天才であり、マーケッティングの天才でもあるゲイツは、今や、11年連続1位にランクされる億万長者である。
本年4月に来日したゲイツは、日本経済新聞の記者に対し「ソフトウエアの重要性は以前にも増して高まっている」と指摘し、研究開発に年間60億ドルを投資していると述べたという。しかし、突然、ゲイツは2008年に引退して慈善活動のために設立した「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」の会長職に集中すると言明したという報道が、6月16日の新聞紙上を飾った。
日本では、村上ファンドの村上世彰代表がインサイダー取引で逮捕されたのは6月5日であった。ホリエモンや村上が若き起業家としてジャパニーズ・ドリームを切り開いてくれる期待は正に夢に終わった。

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