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西暦61年、垂仁(すいにん)天皇は不老不死の薬「時じくの香(かぐ)の木の実(非時香果:時を定めずいつも黄金に輝く香しき木の実)」を入手するため、田道間守(たじまもり:多遅摩毛理とも書く)を常世の国(外国)につかわした。間守は船出して常世の国に向かい、その実のなる木を手に入れて10年ぶりに帰国した。ところが、天皇はすでに崩御された後であり、間守はその木の一部を皇后に献上すると共に、残りは天皇の御陵のほとりに植え、嘆き悲しんで亡くなったという。間守の墓は天皇陵近くの小島にある。
閑話休題。垂仁天皇は153歳(『日本書紀』では140歳)で崩御されたと記されている。また、この天皇は、7人の女性と結婚し16人のお子さんを成した。2番目の女性との間に生まれた大帯日子淤斯呂和気の命(おおたらしひこおしろわけのみこと)は天下を治めた(景行天皇)が、『古事記』には、「御身のたけ一丈二寸御脛の長さ四尺一寸ましき」との記載がある。現在の尺貫法と同じとすれば、何と背丈は3メーターを越え、脛(すね)の長さは120センチ以上ということになるが。白髪三千丈の中国に負けぬ神話・伝説の世界に嵌りそう。
ところで、肝心な「時じくの香の木の実」に関しては、『古事記』に「是今橘也」という記述があることから、後世の人はタチバナとしているが、清水藤太郎先生・田中長三郎先生は、タチバナは当時すでに日本に野生しており、しかも、その野生区域は奄美大島以南にはなかったと主張されている。間守が持ち帰ったのは、もっと有用な薬用植物ではないかと想像されるが、実際には特定されておらず謎のままである。
古来より、特に時の権力者たちは、「不老不死の霊薬」を追い求めてきたが、未だに出現していないし、将来、発明または発見されるかどうかを予測することも難しい。しかし、果たしてそんな霊薬があってよいのかという素朴な疑問にぶつかる。少なくとも自然の摂理には反することである。
人の平均寿命は確実に延長しており、特に日本人の伸長が著しい。食生活や生活環境の向上が寄与していることは事実であるが、医薬品が果たした貢献度も決して小さくない。かつては不治の病といわれた肺結核も化学療法剤の出現で殆ど完治するようになった。今後、悪性腫瘍や認知症などに対しても、より有用性の高い医薬品が続々と開発されることは間違いない。そのことと「不老不死の霊薬」とは別次元の問題である。人も何十年も使えば部品が傷んでくる。多少部品の傷みがあろうと、「有病息災、心身ともに健やかに(?)老いて天寿を全うする」ことで納得すべきであろう。

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