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 瀉血器 (左)3.1x3.4x6.2 (右)2.8x2.5x4 レバーを押すと、複数枚の刃が出て、皮膚に傷をつける。 Z02207、Z01332 |
まだ病原菌の存在や発病の仕組みが知られていなかった時代には、病気は天体や気候の影響で体液が異変を起こして発病すると考えられていた。ローマ時代のガレノスは四体液説を主張し、彼の理論に基づく治療法や生薬を用いた複雑な処方が、長らく医学・薬学の中心となっていた。
四体液説は4つの体液の調和が崩れると病気になるという考え方であり、不調な状態の体液を排出することで、バランスを取り戻そうとした。そのために瀉血が行われたのである。
10世紀にはキリスト教が普及し、聖職者でもあった医師は外科治療が禁止され、代わって床屋(理髪外科医)が瀉血を行うことになった。後には、瀉血に最適の日を示した暦も作られたといわれている。このような処置を行う場合、ヨーロッパでは、メスで行う以外に、瀉血器と呼ぶ専門の道具があった。器械を皮膚に押し付け、レバーを動かすと刃が飛び出して皮膚を傷つけ、血が流れる仕組みのものである。少量の瀉血には、医療用のヒルを用いることもあった。また、獣の角のような円錐形の器具を使う吸角法という方法もあった。
中国医学では鍼灸治療において、瀉血を行う場合がある。これは体内の代謝に関わる「気・血・水」の要素のうち、「血」の停滞を解消させるためのものといわれている。日本でも、『日本書紀』に允恭天皇が瀉血療法を受けたとする記載があり、江戸時代に至るまで行われてきた。
ヨーロッパでは、16世紀初めにスイスのパラケルススが自分の体験や観察、実験に基づいた臨床医学を推し進めた。1543年には、オランダのヴェサリウスが『人体構造論』を著し、近代解剖学を確立した。1628年にはイギリスのハーヴェイが血液循環説を提唱した。また18世紀後半には、イギリスの外科医・ジョン・ハンターが数多くの解剖を実施した。これらの発見については論議がかわされ、人体の仕組みについての研究は次第に進んでいった。
瀉血療法は、古くから効果がないと主張する医学者も多い。アメリカ初代大統領のワシントンの病気治療については、多量の瀉血を行ったために死期が早まったのではないか、と考える人もいる。西洋医学では、医学の発展にともない、多量の瀉血は貧血を起こしたり、体力を低下させるなどの弊害の方が大きいことが判明し、次第に行われなくなった。 |
<主な参考文献> |
輸血の歴史 -人類と血液のかかわり- |
河瀬正晴著 北欧社 1990 |
医学の歴史 1-4 |
C.Singer, E.A.Underwood著 酒井シヅ 深瀬泰旦訳 朝倉書店 1985-1990 |
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