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「春はあけぼの」で有名な『枕草子』は、女流作家・清少納言によって書かれた平安時代の随筆です。この本の中では、清少納言の美意識を通して「あてなるもの(=気品のあるもの)」、「すさまじきもの(=興ざめなもの)」などが語られるほか、平安時代の宮中の暮らしぶりがいきいきと描かれています。
平安時代の貴族の女性は家の中にいることが多く、外出は里帰りや寺社詣に出かけるくらいで、その行き帰りには牛車に乗っていました。『枕草子』の「五月ばかりなどに山里にありく」(二〇八段)では、新緑の季節に牛車で出かけたときの様子が記されています。清少納言は牛車の車輪に踏まれた蓬(ヨモギ)の芳香が漂ってくるのを「をかし(=趣がある)」と言っています。
蓬は葉を「艾葉(ガイヨウ)」と呼び、腹痛、吐瀉、止血剤として用いられてきました。また、「さしも草」とも呼ばれ、鍼灸治療の際、葉の裏側の毛を「艾(もぐさ)」として用います。
「節(せち)は」(三七段)には、「菖蒲、蓬のかをりあひたる、いみじうをかし」とあり、清少納言が、端午の節句の季節や行事に縁の深い菖蒲(ショウブ)の香りも好んだことがうかがわれます。現在では花の美しいハナショウブ(アヤメ科)の方がよく知られていますが、端午の節句の菖蒲は、地味な花の咲くサトイモ科のショウブのことです。
端午の節句の折には、菖蒲と蓬を家の軒に挿してその強い香りで邪気を祓う風習がありました。漢方では菖蒲の根を菖蒲根と呼び、芳香性健胃、去痰、止瀉に用いました。後に湯船につかる入浴が一般的になると、香りのよい菖蒲を風呂に入れて楽しむようになりました。
『枕草子』(全訳註 上坂信男・神作光一ほか)の解説では清少納言は、古典文学における“荒れ果てた庭に生い茂るイメージ”の蓬を“香り”という観点からとらえているところが注目されるとのことでした。また、清少納言の挙げた物の名前から、源順(みなもとのしたごう)が編纂した平安時代の百科辞典『倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』を読んでいた可能性も指摘されています。清少納言の美意識は、こうした観察眼や高い教養に裏打ちされていたことがうかがわれます。
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