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和銅6年(713)5月2日、元明天皇の詔勅によって、国産の薬の探索と増産に意がそそがれました。畿内および、※七道の諸国や郡に命令が出され、『風土記』をつくらせました。諸国の草木・鳥獣・虫魚・鉱物をはじめ諸物産、その他各地の伝説・民話などを集めて報告させたものです。これに各地の薬草が記されています。
現在ある程度まとまったかたちで残るのは、「播磨国(はりまのくに)風土記」「常陸(ひたち)国風土記」「出雲(いずも)国風土記」「肥前(ひぜん)国風土記」「豊後(ぶんご)国風土記」の5つで、このほかには二十数カ国の逸文が諸書に引用されます。完全な形でみられるのは、天平5年(733)に提出された「出雲国風土記」のみです。かなりの薬草が古代の日本でも利用されていたことがわかります。
※律令制下の地方区分。東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道のこと。
記事:内藤記念くすり博物館
伊藤 恭子 (2005年5月) |
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