 蝉退

 蝉花

 『本草綱目』中の「 蝉」の図

 『本草衍義』中の「 蝉」の項目 |
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くすり博物館にはさまざまな生薬がありますが、中には「こんなものまで使ったの!?」とびっくりするようなものもあります。日本では漢方薬というと、草や木に由来する薬というイメージが強いのですが、本場中国では動物や鉱物に由来する生薬もよく使われます。
見た目で驚くのが、「蝉退(ぜんたい、せんたい)」と「蝉花(せんか)」です。
蝉退は「蝉蛻(せんぜい)」「蝉殻(せんこく)」とも書き、「蛻」「殻」は抜け殻を意味します。つまりセミの抜け殻が生薬として使われているのです。
どのセミの抜け殻かは中国でも日本でも諸説ありますが、 蝉(クマゼミ)、螻蛄(ニイニイゼミ)、寒蝉(ツクツクボウシ)などではないかといわれています。
明代・李時珍が現した『本草綱目』では、こどもの疳の虫や熱、眼病、じんましんのかゆみ、破傷風、夜泣きなどに効くと書かれています。炒って粉末にして他の煎じ薬と合わせて内服したり、煎じた液で患部を洗うなど、さまざまな使い方があったようです。夜泣きなどに効果があるというのは、セミが昼間よく鳴き、夜は鳴くのをやめるのにあやかったともいわれています。『薬性論』では小児の解熱や鎮痙に効果があり、『本草衍義(えんぎ)』には目の充血や腫れに効くとも書かれています。
「蝉花(せんか)」はバッカクキン科のセミタケという菌が昆虫に寄生したもので、虫の部分ではなく、虫から生えた子実体(しじったい)を生薬とします。同じ科のフユムシナツクサタケ、すなわち「冬虫夏草(とうちゅうかそう)」の仲間ですが、中国では「蝉退」の一種と見なされ、効能も同じとされました。
和名ではキノコの仲間ということで名前に「タケ(茸)」がついています。中国ではまるで蝉から花が咲くように伸びるので、「蝉花」と書きます。蝉花は中国ではあまり産生されず、珍重されましたが、日本ではニイニイゼミが広く分布するため、比較的各地で見られるそうです。
『中国 虫の奇聞録』(瀬川千秋著)では、中国では昔からセミに「再生」や「高潔」なイメージを抱いていたことが紹介されています。
再生のイメージは、セミは土から這い出して羽化する生態が墳墓からのよみがえりを連想させるからだそうです。そのため、古代には死者の口に「含蝉(がんせん)」というセミをかたどった玉(ぎょく)を含ませる風習がありました。「高潔」なイメージは、セミが露を吸う清らかな生き物と見なされたためであり、理想的な君子のイメージが重ねあわされているそうです。
その一方で中国のたくましさを感じさせるのは、食用としてのセミの利用です。古くからセミの幼虫は食用とされていて、かつては成虫を食べる風習もあったことが同書で紹介されています。
現在では、その辺りの木の下に落ちているものを薬に使うというのはなかなか度胸が要りますが、古代の人がセミの生態を観察したり、イメージを膨らませた上に、実際に使ってみて効果を試した発想力と勇気には脱帽します。
薬として利用するのも実際の薬効を期待する以上に、再生の力を体内に取り込んだり、君子の徳にあやかりたいという願いに基づいたものだったのかもしれませんね。まもなくさまざまな命が“再生”する春がやってきます。
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