「自分が認知症になる」と聞いて、どのような想像をしますか?記憶が失われ、できないことが増えていく。日常生活が全く違ったものになり、不安やおそれを抱く方も多いと思います。藤島岳彦(ふじしま たけひこ)さんは、そんな認知症と診断された当事者様のひとりです。自分の経験を誰かに役立ててほしいと、認知症と診断された前後の生き方や気持ちの変化を伝える講演活動を行っています。どのように講演活動をはじめ、今も続けているのか。その想いを藤島さんに伺います。
聴衆を前に語りかける藤島岳彦さん。その語り口は穏やかで、聴く人の心に自然と入ってきます。会場にはうなずく人、メモをとる人、時に涙ぐむ人の姿もありました。当事者様本人の言葉で認知症のことを聞く機会はあまり多くありません。自分に話せる力があるのなら、認知症のことをもっといろんな人に知ってほしいという藤島さん。認知症は体の痛みを伴わないからこそ、自分の経験談がきっかけで認知症の兆候に気づく人もいるのではないか。その想いから、藤島さんの講演は認知症の症状のみならず、自身が認知症と診断される前後の人生そのものを具体的に物語るスタイルをとっています。
藤島さんが若年性アルツハイマー型認知症と診断されたのは2023年、57歳のときでした。それまでは営業職として長年活躍し、海外駐在の経験もあるキャリアの持ち主。最初の違和感は、日々の生活の中に静かに現れたといいます。朝の身支度で、ネクタイの結び方がわからなくなる。納品物を会社に忘れたままお客様のところに行ってしまう。同僚の顔や名前が覚えられない。体の調子はわるくないのに、いつもの自分では考えられないミスが積み重なり、やがて退職を余儀なくされました。診断を告げられるまでは、認知症を疑ったことは一度もなかったのだそうです。痛みがないから病院に行こうという切迫感もない。病院を受診したのも、職場の上司に強く勧められたからでした。
望まぬ退職をした際の言葉に尽くせない悔しい気持ち。健康だと証明したくて受診した病院で、明確な診断もないのに精神科への入院を勧められ憤慨したこと。認知症と診断された時に、漠然とした不安から解放されホッとした一方で、大切な仲間を事故に遭わせたくない想いから長年続けてきた趣味のロードバイクを諦めざるを得なくなったやるせなさ。その後、ロードバイク仲間たちと新しい趣味のマラソンで再び集えたうれしさなど、講演ではその時々の心境を振り返りながら、藤島さんの赤裸々な実体験が語られます。
藤島さんが経験した「違和感」を具体的なエピソードと一緒に聞くと、講演の参加者も自分と重ねやすくなります。例えば、車をどこに停めたか忘れてしまったり、駐車券をどこにしまったか思い出せず、時間をかけて探してもなかなか見つけられない経験をよくするなど。些細な出来事が実は認知症のサインかもしれないと気づくことができます。
ちょっとした「違和感」だからと何もせずに放置してしまう人を減らしたいという藤島さん。その理由を「病院にかかるまでの時間がもったいないんです。何もしないうちに症状は進行してしまいます。今の時代、早く気づくことができれば認知症の治療薬もあるし、早期治療することで症状の進み方をゆるやかにできます。早期診断は、早期絶望ではないのです。だから、違和感を持ったら早く病院にかかってほしい」と強調します。つい最近も、講演で会った方が「お話を聞いて、自分のことかと思いました」と声をかけられたそう。藤島さんの実体験が、講演を聞く人々に「自分の違和感も認知症のせいかも」と気づかせるきっかけになっていました。
さらに、認知症と診断された後の日々を過ごす中で編み出された藤島さん独自の工夫も講演で詳しく紹介されます。例えば、薬を飲むときのルール。薬を飲んだら、ピルケースの蓋を開けっぱなしにする。このルールひとつで、蓋が開いていれば飲んだことが一目でわかり、薬の飲み忘れを減らせるといいます。こうした工夫は、認知症当事者様やご家族だけではなく、高齢者の方も生活に取り入れられるという藤島さん。忘れてしまうことを前提とした暮らしの知恵をみんなで共有できたら、もっと生活しやすくなる。だから積極的に共有しているのだそうです。「できないこと」に目を向けて落ち込むより、認知症に負けない強い気持ちで「できること」を増やしていこうとするポジティブな姿勢も、藤島さんの講演の魅力のひとつです。
初めは認知症カフェで自分の体験を話し始めたという藤島さん。回数を重ねていくうちに、自治体の地域包括支援センターからの依頼で、高齢者や認知症当事者様のご家族、地域の方にも講演をするようになりました。講演活動を通じて、人との出会いが生まれ、活動を始めてから交換した名刺の数は600枚に及ぶそうです。藤島さんにとって、講演活動は自分自身のためにもなっています。「話すことで考えが整理されるし、気づくことも多く、思考が深まっていく感覚があります。何回も人生を振り返って語ることで、記憶が鮮明になることもある」といいます。
これからの時代、もっと多くの当事者様が「自身の体験を語る」機会が増えてほしいという藤島さん。症状が一人ひとり違うからこそ、さまざまな当事者様の実体験が語られることで認知症の漠然とした怖さが払拭され、もっと身近なものになるのではないでしょうか。藤島さんも今後、認知症の講演をもっと様々な場所で実施していきたいといいます。
「学校の授業で認知症について話してみたいんです。子どものうちから認知症について正しい認識を持っていれば、周りの大人たちの変化に気づけますし、大人になったときに、認知症の人に自然に寄り添えるようになるかもしれない」
認知症をみんなで語れる社会にする。藤島さんの講演活動は、そんな未来を実現するための大きな一歩になっています。
認知症の症状の進行を遅らせるには、早期発見が必要不可欠です。一方で、認知症の兆候は、自分ひとりで気づくことがとても難しい。このギャップを埋める新しい答えが、藤島さんの講演で示されていたように感じました。様々な認知症当事者様の経験が共有され、認知症をもっと多くの人が語ることのできる社会になれば、日々のわずかな変化から認知症のサインに気づく人が増え、より多くの早期発見につながるかもしれません。
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