エーザイ株式会社

挑戦者 #5 グローバルADオフィス 伊藤 典明 早期発見が希望になる時代に アルツハイマー病の兆しを、「血液検査」で見つける。

「新しい答え」への挑戦 #05

アルツハイマー病の兆しを、
「血液検査」で見つける。

グローバルADオフィス
ペイシェントジャーニー(診断)マネージャー
伊藤 典明

X線を使った画像診断、血液を含むバイオマーカーの研究開発などに携わった後、2021年にエーザイに入社。すべての認知症当事者様が適切な治療選択肢を選べるようにしたいという想いを胸に、簡単で安価な血液バイオマーカー検査を組み込んだアルツハイマー病診断ワークフロー構築のための共同研究やステークホルダーズとの協業を主導している。

  • 認知症にはいくつかの類型があり、約7割がアルツハイマー型の認知症(アルツハイマー病)です。

国境と業種を越えたチームで「血液バイオマーカー」開発に取り組む伊藤典明。彼が目指すのは、世界中でアルツハイマー病の早期発見が可能となり、誰もが必要な治療を受けられる社会でした。

01

アルツハイマー病の兆しを、
負担少なく見つけ出す
「新しい答え」。

伊藤さんが取り組まれている「血液バイオマーカー検査」とは
どのようなものか、教えていただけますか?

「血液バイオマーカー」というのは、簡単に言えば血液の中にある「体の状態を示すサイン」です。例えば、血糖値が異常に高いと、糖尿病のおそれがありますよね。このような血液の中に含まれる特定の物質を用いて病気の兆しを調べること。それが「血液バイオマーカー検査」です。アルツハイマー病の診断には、脳内にたまっているアミロイドベータ(Aβ)量を知ることが重要です。これまで脳内の正確な状態を知るには、専用の機械による画像検査(PET)や脳脊髄液検査をするしかありませんでした。それが近年の技術革新により、血液を少量採取して調べるだけで、脳内にあるアミロイドベータ(Aβ)の蓄積状態を高い精度で推定できるようになってきたのです。

血液で検査ができるようになると、どのようなメリットがあるのでしょうか?

血液での検査は、設備的な面、心理的な面、経済的な面など、様々な観点から実施のハードルが低いことが最大のメリットです。従来の画像検査には、脳内を撮影する専用の機械と造影剤が必要です。日本では、画像検査を行う施設に対する認証なども必要で、画像検査を受けることができる施設も限られるため、検査を受けるために遠方の施設に行かなければならない場合もあります。アジアやアフリカなどの地域では、造影剤が承認されておらず、医療機関で使用できない国も多くあります。検査にかかる費用も血液検査に対して高額です。脳脊髄液検査は腰に針を刺して脳脊髄液を採取するので、体への負担が大きいこともあり一泊入院で検査をするケースも多くあります。これらに比べると血液検査は世界中のあらゆる場所で実施することができますし、体にかかる負担も小さい。多くの方に受けていただきやすい検査方法だと考えています。

02

治療薬があるからこそ、
早期発見は希望になる。

アルツハイマー病は早期発見が難しい疾患だと伺いました。
血液検査が普及すれば、早期発見のハードルが下がりそうですね。

早期発見が難しいというのもありますが、それ以上に、「早期発見しても、病気の原因に作用するような革新的な治療法がなかった」ことのほうが課題でした。私の母が介護事業を経営していることもあり、アルツハイマー病は対処の方法が限られ、いずれ介護が必要になる疾患だという印象が強くありました。それが、現在では、病気の原因物質であるAβに作用する治療薬が登場するなど、「治療」によりアルツハイマー病の進行を遅らせることができる時代になりました。だからこそ、早期発見は、当事者様やご家族の皆様にとっての希望になると思っています。

治療法があるからこそ、血液バイオマーカー検査の良さが活きるのですね。

認知症の前段階である軽度認知障害(Mild Cognitive Impairment:MCI)は、「認知機能の低下があるものの、日常生活を基本的には正常に送ることができる状態」を指します。 医師による神経心理検査だけでは治療や生活改善に踏み切れないという方にとって、検査のハードルが低い「血液バイオマーカー検査」は行動変容のきっかけになると思っています。MCIの段階では、適切な治療をすることで症状の進行を遅らせることができ、必ずしも認知症に進行するわけではなく、原因によっては現状が保たれたり、回復したりすることもあります。この事実を知ると、検査を受けてみようかなと思う方も増えると思っています。

母が経営する施設もそうですが、介護施設には、すでにアルツハイマー病の症状が進んだ方が入られることが多いのが現状です。早期発見する方が増えれば、薬による治療の他にも食事の改善や運動や睡眠による症状の改善といった選択肢も提示できます。早い段階での対策によって将来的には施設に入所される当事者様も減り、社会全体で介護者の皆様の負担を減らすことにもつながっていくと期待しています。

03

人類の共通の社会課題だから、
国境も業種も超えた協業によって共創したい。

日本初の診断ワークフロー構築や海外で血液検査の実装も
視野に入れた共同開発を進めていると伺いました。

エーザイは診断事業を持っていないので、パートナー企業との連携が非常に重要です。そのため、幅広いステークホルダーズとともに当社が提供できる価値を提供し、課題解決を目指すことを大切にしています。
データを取るには医師や看護師、心理士などの医療関係者の皆様や研究参加者の皆様など様々なステークホルダーズの協力も不可欠です。国や地域によって医療環境や検査に対する受け止め方も異なるので、世界中の医療機関や当事者様の方の声を直接聞くことも必要です。アルツハイマー病を含む認知症は人類共通の課題なので、国と業種を越えて、あらゆる関係者とできる限りオープンに協業して取り組みたいと思っています。

具体的に進んでいる協業の事例があれば教えていただけますか?

事例を2つ紹介します。
1つは、アルツハイマー病の診断ワークフロー開発です。簡単にいうと、「診断のプロセス」をもっと正確に、早く、わかりやすくする仕組みをつくることです。これまでの診断は、主に問診や神経心理検査が中心だったので、どうしても医師によって判断にばらつきが出てしまいました。そのため、かかりつけ医から専門医に紹介された際に、もう一度神経心理検査を行うこともあったのです。そこで、私たちは数値として状態をはかれる「血液バイオマーカー検査」に着目しました。血液バイオマーカー検査を活用することで、かかりつけ医と専門医の連携をサポートし、正確な診断とスムーズな治療を提供できるようになるのではと思っています。日本初の試みですが、地域のかかりつけ医、地域コミュニティと関係性が深い大分大学、および血液バイオマーカー検査技術の先駆者である島津製作所と共同で開発を進めています。

生活者の利便性を考えると、自分が住んでいる街のクリニックでも「血液バイオマーカー検査」が受けられることが大切です。そのため、検査としての確からしさはもちろん、かかりつけ医と専門医の診療連携による、専門医療機関への集中の緩和、専門医療機関での待ち時間の短縮など、さまざまな側面からメリットを示せるように、日々検証と分析を進めています。

もう1つは、アルツハイマー病検査や治療へのアクセス格差をなくす国際的な取り組みです。例えば、画像検査(PET)には大きなコストがかかり、専門知識が必要ですので、一部の地域にしか届けることができません。アメリカや日本では使用できても、アジアやアフリカではPET用の薬剤が承認されておらず使用できない場所も多く、アルツハイマー病診断へのアクセスに依然として格差が存在しています。エーザイは「だれひとり取り残さない」という信念で、アルツハイマー病を含む認知症に取り組んでおり、こうした国々での血液バイオマーカー検査の実現に力を入れています。そのため、アジア全域に影響力をもつシンガポールの医師と血液バイオマーカー検査の普及について協業を計画したり、インドの医師たちに血液バイオマーカー検査のメリットを話したりすることもあります。各国で医療形態や人々の考え方、暮らしが大きく異なるので、リアルな情報を常に現地のエーザイ社員とやりとりしながら、その国にとって最適なサポートと検査方法を啓発し、各地における実装の準備を進めています。

血液バイオマーカー検査の共同開発や研究を進めるなかで、
どのような時に手ごたえを感じますか?

血液バイオマーカー検査が当事者様の気持ちに与える影響を検証するなかで、「早く知ることができてよかった」「早く分かったことで、体をよく動かしたり、睡眠時間を気にしたりするようになった」というポジティブな声が聞けたのは私にとって嬉しいことでした。早い段階でアルツハイマー病のリスクを知ることが検査を受ける方にどう思われるか気がかりでした。また研究に協力いただいた医療機関の先生方からも「診療に与える影響が大きい」というポジティブなフィードバックをいただきました。血液バイオマーカー検査を受けられる方、医療関係者の双方がポジティブに捉えてくださるというデータが出たときは、確かな手ごたえを感じました。

この調査を行った大分県臼杵市ではアルツハイマー病やMCI、認知症について広く疾患の啓発がなされていたということも、ポジティブな意見が多かった一因だと思います。「血液バイオマーカー検査」のメリットとともに、早期治療することでアルツハイマー病の進行を遅らせることができるなど、アルツハイマー病に対する正しい理解をしていただくことの大切さを実感しています。

04

世界中の人々が、アルツハイマー病を
早期発見・早期治療できる社会を。

伊藤さんがこれから挑戦したい、次なる「新しい答え」はなんでしょう?

「血液バイオマーカー検査」を実用化することはもちろん、リモート検査、一般企業の健康診断への採用、Aβに留まらない神経疾患全般に関わる早期の血液バイオマーカー検査をグローバル規模で実現したいと考えています。アジアの島々やアフリカの一部など、血液検査を実施するのが難しい地域に住む方もいます。そんな方々のために、例えば、指先で少しだけ血液を採取して郵送すると検査結果がわかるアプローチを開発するなどに取り組みたいと考えています。そうすることで、アルツハイマー病検査やその治療へのアクセスの格差をなくしていきたいです。

また、米国においては「血液バイオマーカー検査」は現在、医師による神経心理検査で必要と認められる方が対象になっています。しかし、治療プロセス全体を考えると、さらに検査実施のハードルを下げる必要があると感じています。例えば人工知能(AI)を活用した神経心理検査や眼球の動きで認知機能がわかる検査など、新技術が日々開発されているので、医師の皆様にとっても当事者様とっても負担が少ない、アルツハイマー病を含む認知症検査の実装を実現し、より血液バイオマーカー検査を受けやすくするための環境づくりをしたいと思っています。

インパクトが大きい分、難しい挑戦でもあると想像できます。
伊藤さんにとって「新しい答え」をつくるのに、欠かせないことは何ですか?

社内外・国内外問わず、様々な方々の意見を取り入れることが必要不可欠だと思います。
良い技術が論文で公表されたとしても、社会実装まで進むとは限りません。アルツハイマー病という手強い相手に立ち向かい、創出したソリューションを広く普及させるためには、さまざまなパートナーとの協業を推進してそれぞれのもつナレッジを結集し、公共、生活者の皆様、医療関係者の皆様など様々なステークホルダーズに透明性高く価値を示して、提供することが重要です。「血液バイオマーカー検査」の普及もまだ道半ばだからこそ、どうすれば前向きに、気軽にアルツハイマー病について検査を受けていただけるか。生活者の皆様の声を大事にしていきたいと考えています。

最後に、伊藤さんの最終的なゴールについて教えてください。

「血液バイオマーカー検査」だけに限らず、新技術を積極的に取り入れることで、グローバル規模でのアルツハイマー病検査や、その先にある治療へのアクセス格差をなくしたいですね。先進国では地域格差があり、アジア、アフリカ、メキシコ、ブラジルなどにおいては、先進国との格差が大きいのが現状です。アルツハイマー病診療へのアクセスが困難な地域や充分な医療サービスを受けられないコミュニティを支えるため、生活者や介護者の皆様、医師の皆様の意見を多方面から取り入れて、社会実装を加速させたいです。また、健康診断のように毎年ご自身の脳の健康度を「血液バイオマーカー検査」でチェックすることができれば、症状が出る前から将来アルツハイマー病になりやすいリスクが見つかる方も増えると思います。早期治療や予防の行動に、少しでも貢献したいと思っています。

  • 所属・インタビュー内容は2025年4月時点のものです。