エーザイ株式会社

挑戦者 #1 グローバルADオフィス 木村 禎治 アルツハイマー病治療薬誕生秘話 認知症に、世界初の治療薬を。

「新しい答え」への挑戦 #01

認知症に、
世界初の治療薬を。

グローバルADオフィス ヘッド
木村 禎治

1987年に入社。化学系研究者として認知症におけるさまざまな薬剤の創出に貢献。2023年に、アルツハイマー病の原因に直接アプローチする世界初の治療薬を生み出す。2024年から認知症の早期診断など啓蒙活動をグローバルに統括し、本剤による治療を、希望する一人でも多くの当事者様に届けるための仕事に邁進している。

2023年に誕生したアルツハイマー病治療薬の創製をリードしてきた木村禎治。20年以上にわたる新薬探究の道のりは、決して平坦なものではありませんでした。全世界が待ち望む治療薬誕生の裏側には、木村の熱き想いがありました。

01

アルツハイマー病の原因に直接
はたらく
世界初の「新しい答え」。

新しいアルツハイマー病治療薬の誕生は大きなニュースにもなりましたね。
この治療薬は、どこが認知症の「新しい答え」だったのでしょうか?

この新しい治療薬は、世界で初めてアルツハイマー病の原因物質であるアミロイドベータ(Aβ)の除去と認知機能悪化の抑制の両方を示した薬です。これまでもエーザイから、神経細胞を活性化させて認知症の症状を緩和する薬は出ていたのですが、本剤は認知症によって神経細胞が死んでいくことを止めることができる。つまり、アルツハイマー病の進行そのものを遅らせることができるようになったのです。エーザイは1983年から認知症の創薬プロジェクトを開始しましたが、40年かけてようやくたどり着いた、ひとつの答えです。

  • 認知症にはいくつかの類型があり、約7割がアルツハイマー型の認知症 です。

02

探究心の原点は、
「誰もやってない」。

新しいアルツハイマー病治療薬の創製をリードしてきた木村さん。
最初から認知症の研究をしていたわけではないと伺いました。

私は幼い頃から理科が好きで、ずっと化学に興味を持っていましたが、一番身近にあったものが薬剤でした。病院も、注射も苦手だったので、大学でも化学を選びました。就職先を選ぶ際に、いちばん重要にしたのが「研究室から誰も就職していない企業」で、エーザイに入社しました。エーザイの筑波研究所はまだ新しく、周りには研究機関ばかりで他には何もなかったのですが、逆に研究に没頭できる環境も魅力的に映りました。

入社して数年、複数の研究プロジェクトに携わり、いくつかの研究で結果を残すことができました。一方で「自分の実力は世界に通用するのか?」「井の中の蛙になっていないか?」との思いから、32歳の年にアメリカの西海岸にあるスクリプス研究所への留学を決意しました。ノーベル賞を取るような、世界中のトップレベルの科学者たちが集まる研究所です。会社からは好きな留学先を自由に選んでよい、ということだったので、ここでも「誰も行ったことがない」を基準に研究所を希望しました。留学先で過ごした2年の間に、複数の論文が著名な学術誌に掲載されるなど、世界に自分の実力は通用するという自信を深めることができました。

研究者としてキャリアを積み上げてきた中で、いつから認知症に携わることになったのでしょうか?

アメリカから帰国した後、1999年のことです。エーザイの研究所長だった杉本八郎さんに「認知症のチームを率いてくれないか」と言われました。当時のエーザイの研究所では、長期間にわたり、認知症の新薬候補を全く出せていませんでした。周りからは、「認知症の研究は地獄を見る」とも言われるほど。しかし、私にとっては「誰もやらない研究」こそおもしろいと思えたのです。思えば若い頃から、「誰もやったことがないこと」に強く惹かれ、導かれたのだと思います。

03

認知症の母の死。
頭から離れない、兄のひと言。

「誰もやったことがない」が木村さんの原動力だと分かりました。
その想いひとつで研究を続けてこられたのでしょうか?

もうひとつ、私の研究人生に大きく影響したエピソードがあります。認知症の研究に取り掛るようになってしばらくして、母を認知症で亡くしました。私が認知症の薬を研究していることは家族も知っていたのですが、兄が不意に口に出したんです。「お前の薬は間に合わなかったな」って。決して悪気があって言ったわけじゃなく、本心だったんだと思います。だからこそ、今もずっと耳に残っています。すごく悔しかった。1日遅れることで、間に合わない人がいることを、身をもって体験しました。その日から、1日でも早く治療薬を生み出さなければと強い使命感が生まれました。認知症の薬を研究するチームは、私と同じような経験をしている人が多くいます。だからこそ「今日できることは、全部やろう。絶対に明日に延ばしてはいけない」という信念で、仕事を続けられるのだと思います。

04

「新しい答え」を生んだ、
幸運と執念。

世界中で多くの大企業や研究者が成果を出せていない中、
エーザイだけが新薬をつくれた理由を教えてください。

幸運なことに時代が味方してくれた部分もありました。私が研究をはじめた1990年代、認知症を引き起こす原因物質についての仮説はありましたが、どうすればその物質を無くせるか、確かめる手立てがありませんでした。もちろん、人の脳を直接見ることはできませんし、動物の脳には、人間と同じ認知症の原因物質は蓄積されません。薬をつくろうにも、実験ができない状態が続いていたのです。その状況が、2000年代になり科学技術の進歩によって、人間と同じ認知症の原因物質が蓄積されるマウスが生み出されました。これを皮切りに、様々なアプローチを実験できる環境が世界的に整い始めたのです。この新しいアルツハイマー病治療薬のプロジェクトも、スタートを切ることができました。

もう一つ業界でも珍しかったのは、エーザイチームはアルツハイマー病治療薬のプロジェクトを3つ同時に進めていたことです。内2つはアルツハイマー病の原因物質がそれ以上生成されないようにする薬。そして3つ目が、アルツハイマー病の原因物質を取り除く本剤です。薬を出すにはいくつもステップがあり、多くの薬は人間に試す前に様々な理由で開発が中止になります。その狭き門をくぐり抜け、エーザイのプロジェクトは世界でいち早く実際に当事者様に投与して効果を確かめる臨床試験に入ることができました。このことがエーザイの開発を勢いづけていました。長年成果がなかった認知症の創薬領域に、私たちが新しい道を切り開くんだと信じて疑いませんでした。

初めは順調だった開発にも難所があったと伺いました。
木村さんが思う一番の難所について教えてください。

当社を含め世界中の認知症治療薬のプロジェクトの開発の失敗が続き、多くの製薬会社が認知症治療薬の開発から手をひいていきました。2019年の時点で、エーザイの残されたプロジェクトは本剤だけになってしまいました。多くの人が「アルツハイマー病の原因物質を取り除く新薬なんて開発できるわけがない」と思っていることをひしひしと感じていました。気丈に振る舞ってはいましたが、落ち込みは激しかったです。しかし、あきらめることだけはしたくありませんでした。発明は逆境から生まれるもの。そう自分に言い聞かせ、チームを信じて、何とか一歩でも前に進もうと足掻き続けていました。世界の製薬会社が開発を断念するなか、難易度が高くともブレずに推進しつづけたエーザイという会社の風土も、研究チームを支えたのだと思います。

そして、2022年。本剤の「臨床試験が成功した」という一報が伝えられました。内藤CEOから電話を受けたときは、万感の思いでしばらく言葉が出てきませんでした。20年以上失敗を積み重ねた研究が、チームみんなの想いが、ついに報われたのです。やっと、認知症に苦しむ人々に治療薬を届けることができる。

新しいアルツハイマー病治療薬の開発は、決して平坦な道のりではありませんでした。
「新しい答え」を生むために、欠かせないものは何でしょうか?

振り返ってみると、実に個人的な感情が大きかったと思います。「お前の薬は間に合わなかったな」という、兄の言葉。あの時の悔しさ。そして、まだ誰もやったことがない新しい道へ進むのだという強い信念。この2つの想いが最後まで責任を持ってやり遂げ、結果的に世界初の治療薬を世に出せたんだと思います。

もうひとつは、エーザイの盤石な研究開発環境も必要不可欠でした。臨床試験で失敗したからといって、経営層含め誰もが認知症治療薬を諦めるという選択をしませんでした。研究者だけでなく、認知症治療薬の開発に関わる全員がブレない信念をもつこと、これからも「新しい答え」を生むのに欠かせないものだと思います。

05

認知症で困っている方々の
希望になる会社でありたい。

現在、研究者から新しいアルツハイマー病治療薬を届ける活動に仕事の軸をおかれていますが、
具体的にどのような活動をされているのでしょうか?

グローバルAD(アルツハイマー病)オフィスのリーダーとして、世界中で本剤や今後生み出される新しい治療薬のマーケティング、メディカル活動などを統括しています。 本剤は全く新しい治療薬のため、医師による診断から投薬、事後ケアまで一連の流れをゼロから設計しています。研究は、承認が取れたらそこで役目を終えます。自分たちが開発した治療薬がどう使われるか、どう広まるかのプロセス設計に関われることを、とても誇らしく思っています。

本剤は、臨床試験の結果から、アルツハイマー病の進行が軽度な方への薬剤です。対象になる当事者様は限られています。そういう意味で、本剤のポテンシャルを十分に引き出すためにまだやるべきことはたくさんあります。今、私たちにできるのは、認知症という病気を正しく知り、病院で早く発見し、正しく処方される。いわば「道づくり」だと思っています。

木村さんが挑む、次なる「新しい答え」は認知症の早期発見を、
ひとりでも多くの方にしていただくことなのですね。

現在、軽度の認知症の方で、病院に行く人は約8%と言われています。その理由として、軽度認知障害は老化による「もの忘れ」と区別が難しく、サインが曖昧であることがひとつ。さらに、自分の認知症機能が低下していることを受け入れがたい心理的なハードルもあると考えます。例えば、血圧や血糖値を気にするように、アルツハイマー病の原因物質がどれくらい脳に蓄積しているのかを数値化して明確な基準をつくるなど、当事者様やご家族の皆さまが気軽にチェックできる環境づくりと認識づくりが重要です。

そのうえで、当事者様やご家族の方々の心の負担を軽減するため、認知症と診断されたその後の治療の流れまで確立させる。これはエーザイだけではなく、医療機関やアカデミアに携わる方々とも協業し、社会全体で取り組んでいきたいと考えています。

最後に、木村さんが目指すこれから社会のあり方について教えてください。

早い段階から認知症の兆候に気づき、誰でも適切な治療が受けられる社会です。認知症は特別な病気ではなく、日本では65歳以上の高齢者の5人に1人がかかる可能性を持っている「誰でもなりうる病気」です。高血圧や高血糖のように健康診断などで早期に発見することで、認知症で苦しむ人を減らしたいと強く思っています。そんな世界を実現するために、まだ見ぬ新しい創薬に挑戦する研究者たちとともに戦っていることを胸に、これからも認知症に「新しい答え」を出す挑戦を続けていきたいです。

また、次世代の方々にバトンをつないでいくことも私の役目だと思っています。バトンを受け取った方々が新しい答えを生み出し、さらに次の世代へ...。認知症を克服できるようになるその日まで、エーザイは認知症で困っている方たちの希望になる会社でありたいと思います。

  • 所属・インタビュー内容は2025年3月時点のものです。