山帰来(サルトリイバラ) ユリ科の植物
薬草蒸気風呂 大垣で使用された。 |
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梅毒は古くから人々に恐れられてきた性感染症です。現在も世界中で、猛威をふるっています。19世紀までは梅毒を根本から治療する薬はなく、皮膚の症状を多少緩和する薬や対症療法しかありませんでした。我国では昇汞や甘汞、水銀軟膏などが用いられました。
『解体新書』の著者、杉田玄白は回顧録の『形影夜話(けいえいやわ)』で「梅毒患者の治療がとても難しく、患者1000人中7〜800人が梅毒患者であった」と書いています。江戸時代には梅毒患者はかなり増えていました。玄白はオランダから輸入した水銀剤を用いたといいます。民間の療法ではユリ科の植物、山帰来(さんきらい)を煎じて用いました。
岐阜県大垣に杉田玄白の高弟である蘭方医の江馬蘭斎がいます。オランダの医学書にヒントを得て、蒸気浴で皮膚の糜爛(びらん)した肉芽をよくするということから蘭斎は皮膚梅毒にこれを応用しました。
薬草蒸気風呂で発汗させる治療法は、スノコの下の五衛門釜に薬草を入れる全身薬浴や、局所薬浴でした。保温性浴料とされる川(せんきゅう)などの生薬を入れて血行を促進しました。後には梅毒以外にリュウマチや神経痛などの治療にも使われました。
また蘭斎の内服療法として知られるのは蜀葵(しょくき)根、大黄、風化芒硝、甘草の処方でした。蜀葵はタチアオイの根で神経痛効果を期待し、大黄は健胃剤として用い、芒硝は硫酸曹達(ソーダ)で胃腸薬、甘草は百毒を解くといわれます。あわせて蜀葵とカミツレで患部を洗浄、水銀軟膏を用いたりしました。
多くの医師がいろいろな治療法をこころみたが期待される成果はありませんでした。ペニシリンをはじめとする各種抗生物質が開発されるのは、戦後まで待たなければならなかったのです。 |