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身近な生活にある薬用植物 こどもに関わりのある植物
 いつの時代も、親はこどもが日々すこやかに育ってくれることを願っています。昭和の半ばまでは、世の中のお母さんたちは暑い夏にはこどもに行水を使わせ、風呂あがりには天花粉を体にはたいてやり、夜には蚊遣りや蚊取線香を焚き、蚊帳(かや)を吊って寝かせたものでした。冬には、こどもは風の子と言いつつも、寒い夜には湯たんぽをそっと布団に入れたりしました。
 現代では行水がシャワーやウエットシートになり、蚊取線香は電子蚊取り器や虫除けスプレーに変わりました。しかし、東北を襲った大震災以降、生活様式の見直しが行われるようになりました。例えば節電のために冷房を抑える家庭が増え、蚊取線香の需要が再び高まったともいわれています。無理な節電を行ったり、わざわざ電気を使わない不便な生活に戻す必要はないと思います。ただ、ちょっと昔の生活を取り入れてみて、「お母さんが小さな頃は、こんな風だったんだよ」とか、「おばあちゃんは夏にはこんな工夫をしてたんだよ」とこどもたちに伝え、これまでの生活様式を見直してみるのも悪くないと思います。
 ここでは、ちょっと昔に使われていた植物で、こどもに関わりのあるものを紹介します。
<ちょっと昔のあせも対策 天花粉(天瓜粉)とシッカロール>
 あせもは、汗で汗腺がつまり、皮膚が炎症を起こすもので、こどもに多い。江戸時代には行水や入浴の後、体にでん粉の粉をはたき、汗を吸着させて快適に過ごそうとした。粉は、天花粉やクズのでん粉を用いた。キカラスウリの根から採ったでん粉を天花粉もしくは天瓜粉と書き、“汗知らず”とも呼ばれた。1714年(正徳4)刊行の『小児必用養育草』には、ハマグリの貝殻を焼いたものと、うどん粉を混ぜてふるいにかけたものを用いると書かれている。
 明治時代になると、亜鉛を熱して作る亜鉛華(酸化亜鉛)の粉とでん粉を調合したものを用いた。大正時代にはタルカムパウダーも用いられた。これは、油を吸着する性質を持つ滑石(タルク)にでん粉や香料を混ぜたもので、現在のベビーパウダーにあたる。なお、シッカロールは1906年(明治39)に和光堂薬局が売り出したもので、当初の成分は亜鉛華・タルク・でん粉であった。

キカラスウリ
シッカロール 和光堂 東京 昭和20年以前
紙箱入り。
<おなかの虫に 生薬由来の駆虫剤>
 寄生虫は古くから人間を悩ませてきた。そして古代ギリシアやローマでは既にヨモギ属のある種を駆虫に用いていたとされる。駆虫に用いるのは、これらの植物の花蕾であったが、西アジアからヨーロッパへと輸入された時、小さいため種子と間違えられ、中世イタリアではセメン(種子)に由来するセメンチナ・セメンツアなどと呼ばれていた。
 1829年、カラーがこの蕾のエーテルエキスを製造した際に、有効成分・サントニンの結晶を得た。1830年にはアルムズが同様のものを発見し、1833年メルクが純粋な形での分離に成功した。この成分により、寄生虫のうち、回虫は人体内で麻痺状態となり、下剤を用いることで体外に排出される。
 サントニンの原植物であるシナヨモギは中央アジアで栽培され、ロマノフ朝時代から国外持ち出しが禁止され、独占されてきた。日本では明治以来、サントニンを輸入に頼ってきたが、第一次世界大戦が勃発すると医薬品の輸入途絶が起こり、国産化が望まれた。そこで、ヨーロッパよりミブヨモギの種子を取り寄せて栽培を行い、1929年(昭和4)サントニン抽出に成功した。
 カイニン酸は、マクリ(カイニンソウ/海人草)に含まれる。日本では海藻のマクリを煎じて服用してきたが、独特の臭気があり飲みにくいものであった。
 カイニン酸は第二次世界大戦後の1953年(昭和28)に、大阪大学の村上信三らによりマクリ(海人草)の水浸エキスから発見された。戦後、GHQにより学校で検便と駆虫が実施されたが、駆虫にはマクリの煎じ汁や飲みやすくチョコレート味をつけた駆虫剤が用いられた。
 その他駆虫には、綿馬のエキス剤、アメリカアリタソウから採れるヘノポジ油なども用いられた。

ミブヨモギ
まくり虫下し湯 野口寿貫堂 滋賀 昭和20年以前
<蚊に刺されないように 蚊取線香>
 平安時代の随筆『枕草子』にも「にくきもの」として蚊が挙げられており、日本人は昔から蚊に悩まされてきたことがわかる。
 『倭名類聚抄』にも「蚊遣火(かやりび)」は、蚊を煙により去らせるものと説明されている。いぶす材料としては、榧(カヤ)がよいとされ、江戸時代には榧の木売りから購入したといわれている。そのほか、槙(マキ)のおがくず、橘(タチバナ)や橙(ダイダイ)の皮も用いられたとされる。一般的には、杉や松の葉をいぶすことが多かった。
 明治時代になると、蚊取線香が発明された。上山英一郎氏は、明治19年(1886)にアメリカのH.E.アモア氏から除虫菊の種子を贈られ、その栽培を始めた。その後、明治23年(1890)には、上山氏が創業した大日本除虫菊株式会社より、棒状蚊取線香が発売された。


記事:内藤記念くすり博物館
         稲垣  裕美 (2011年9月)
金鳥香(棒状蚊取線香)
大日本除虫菊株式会社製
昭和10〜20年(1935-1945)
<天瓜粉>
キカラスウリ
<虫下し>
シナヨモギ ミブヨモギ
カイニンソウ アメリカアリタソウ
<虫除け>
シロバナムシヨケギク カヤ
スギ マツ
タチバナ ダイダイ
<参考文献>
江戸の医療風俗事典 鈴木昶 東京堂出版 2002
くすりの小事典 朝日新聞科学部・坂本正明 朝日新聞社 1982
ミブヨモギ栽培史 日本新薬 1986
民具のこころ−江戸三百年 前川久太郎 時事通信社 1981
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